2016年12月18日日曜日

あたらしい場所


こんにちは。

ひょんなことから ただいま日記を書く場所をお引越ししています。

よかったら覗いてみてください。

あたらしい場所

2016年12月1日木曜日

三五一

二〇一六年十二月一日木曜日
雨のち晴れ
twitterやinstagramで、師走という文字をいくつもみるこのごろ。そうか、一日がやって来るから書いているひとがたくさんいたのだなときょうになってわかった。わたしのきもちはすでにすっかり十二月のなかにいた。まいにち、日記に日にちを書いているのになあ。
ともが来てくれた。おいしいいちじくのタルトを作って。ともに出会って、もうかれこれ十二年くらい。彼女はなんというか家族に近い。のんさんと過ごしてくれているあいだに、とお風呂を掃除したり、洗い物をしたり、洗濯物を取り込んだり。親しき中にも礼儀あり、なのだけれど、気がついたら母が来てくれたときのようなリラックスっぷりでじぶんで驚いた。いてくれるだけでありがたい。
夜ごはんは、やさい炒め、あにさんに教わった煮物、豆乳スープ(生姜、琥珀茸、白菜、さつまいも、玉ねぎ、人参)、納豆、ごはん。
帽さんは打ち合わせとのみかいなので、ひとりごはん。目をつむり、噛みしめて味わえるしあわせよ。

2016年11月30日水曜日

三五〇

二〇一六年十一月三十日木曜日
晴れと曇り
帽さんのおつかいにゆくの日。
今週末は、帽さんのともだちの結婚式。中学時代からの仲。部活も、職種も、名前の漢字も同じ(よみかたは異なる)。そのころからいまも、毎年夏になるといっしょにキャンプへゆく彼は、わたしとのんさんのことも招待してくれた。いざ、松本へなのだ。
いままでは、ふだんのじぶんとかけ離れすぎて、よそよそしいままよそのひとになってしまって式というものに進むきもちを持てていなかった。すすまないきもちは、身につけるものもすすまないものを選んでしまう。このくらいでいい、と。けれども、洋服も化粧もちょうどよい距離感をさがせばいいのだなということにようやく気がついた。それからというもの、いつでも呼んでくださってというきもちでいる。�帽さんもこのごろそんなきもちになったようで、ちょうどよいネクタイとシャツを探していると、出発二日前に打ち明けられる。(よかったら、みてきてもらえないかな。)がってん!
そんなこんなで、こんにちは未知の世界ネクタイ・シャツ編。
わたしが知っているネクタイのお店は、ひとつだけ。そこはちょうど吉祥寺に店舗をオープンしたと。お客はのんさんとわたしだけ。式といったらこうでないとというルールがさっぱりだったので聞きながら、ああでもないこうでもない。マネキンさんにひとつひとつ合わせてもらう。帽さんが選びそうなシンプルなものと、わたしが選ぶあそびのあるものと、むむむと悩んで最終決定権をのんさんに託す。(ああ)と手を置いたのは後者。じぶんでは選ばないだろうけれどきっとつけたらいいかおになるさ。
のんさんの授乳とおむつ替えがてら東急へ。ふらっとメンズのシャツとネクタイのコーナーに立ち寄るとシルバーのネクタイが何重にも層になっている。遠目だとひとつのかたまりにみえるほどに同じ。これがいわゆるなのね、と知る。この中から選ぶなんて、いやはやいやはやちょう難題だ。あのネクタイにしてほんとうよかったと思うのだった。シャツの襟の話を聞き、気になるものはフォーマルコーナーにありますと連れて行ってもらう。わたしには未知の領域、フォーマルの宇宙にてずっとずっと年輪の輪をふやしているのをかんじる父より年上であろうおじさまがとても丁寧に接客してくださった。S・M・Lなんていうざっくりしたサイズ感ではなく、首まわり・腕の長さ・丈の長さの組み合わせからぴったりのサイズをみつける。そんなことも知らずに来てしまったわたしに、身長と普段着ているサイズを聞き、うーんうーんといっしょに考えてくださるおじさま。となりのコーナーのおばちゃま(おじさまよりは若い)にも、この方はカジュアルにもいた経験があるから(S・M・Lとここでの測り方とどちらもわかっている強い味方)と相談してくださって、これにしましょうとサイズをみつけられたことをいっしょに喜んでくださった。深くてひろいうみにぽわわーんとやってきてしまったわたしにも寄りそってくれる、執事もすてきになさいそうなこんな方がしずかなフロアにいるのだ。お喋りしながらサイズをさがしている時間はなんだかたのしかったなあ。
夜ごはんは、わかめの柚子味噌のっけ、やさい炒め(生姜、たまご、琥珀茸、きゃべつ、蕪の葉、蕪、玉ねぎ、人参)、あにさんに教わった煮物(ぶた肉、里芋、蓮根、大蒜、さつまいも)、ごはん。

2016年11月29日火曜日

三四九

二〇一六年十一月二十九日火曜日
晴れ
ふとした思いつきで連絡をする。すぐに返ってくるときは、そういうときだと会いにゆく。つくった柚子のジャムと柚子の味噌を新聞紙に包んで。制作三昧の日々だろうからとおせっかいまん母心、なんとなくサンドイッチも買ってゆく。
玄関をあけてくれたいくこさんをみて思い出した。ああ、つくるってそうだった。手をうごかすというのは、手をうごかすだけではないということ。それだけじゃなくってむき身状態。生まれたての赤子のごとくほわほわで、もうなにを言われたって泣きそうになったりするような、こころがそとがわに出てしまっているような、すべてがぴりりとしみやすい、あたまからだぜんぶまるごとうちゅうの中。短距離走をはしるときに息をとめて、すぽっと入り込み潜る。つくるってそうだった。
そんな中に、例えるならば裸足にビーサンなのんさんとわたしが入ってしまった。制作のお邪魔にならぬようはやくお暇しようとそれくらいでとまっていた想像力、おでこにぺしんと手のひらあてる。
のんさんは着いて早々うんちくんをするというリラックスっぷりで、テーブル(もともと帽さんがつかっていたものを、いくこさんたちがもらってくれてここにいる)のまわりをくるりと探検していた。テーブルをつかっていないいないばあをしたり、カホンをたたいたり、くつろぎたのしんでいた。
またねと手をふる。のんさんはみえなくなったころ、手をふっていた。そのあと届いたメールの言葉をよんでほっとした。ああ会いに行ってよかったのだ。
夜ごはんは、くるみ和え、水炊き、しめのうどん。
すーさん二歳のたんじょうび。はっぴいはっぴいばーすでい。

2016年11月28日月曜日

三四八

二〇一六年十一月二十八日月曜日
晴れ つめたい風ぴゅーぴゅー
ねむくてねむくてねむくてねむくて。どろっとでろっと、音でいうとそんなふうに布団のなか。
こうえんにて、おむすびをたべるけれど思いの外つめたい北風。三鷹市星と森と絵本の家(どうしてもなまえが覚えられない。いまも、検索。)へ行くことにした、バスに乗って。シンプルでしずかに粛々と誠実にそこにいる場所。平屋の家を改築して、カテゴリーごとに本棚にならぶえほん・年ごとの展示をたのしむことができる。十二畳ほどある畳の部屋にはちゃぶ台とつくえがぽつんといるだけ。古い家ならではの部屋と部屋をつなぐ長い廊下。本棚が並ぶ部屋の床にはホットカーペットが敷いてある。のんさんくらいの子にも、床はあたたかくただただ縦横無尽にはいはいしまくることができる寛大なところなのだ。置いてあるえほんは、つよい偏りはないようにみえる。あってほしいもある、出会いもある。けれど図書館というほどの量ではなく、量と質が適当だなと思う。
閉館まで一時間くらいの時間帯。娘さんが二十代の親子、四�人グループの三十代の女性たち、二才の女の子とお母さん、四才くらいの男の子とお母さん、二才くらいの男の子とお母さんが二組、そしてのんさんとわたし。はいはいをしているのはのんさんだけ、最年少だった。のんさんには線引きがない。気になるひとのあしもとでとまり見上げてみたり、走っていく男の子を追いかけてみたり、えほんをひろげてよんでいる親子のもとへ入っていったり。彼女のその線を引かない軽やかさがほんとうにすきだ。ほかのこたちは、たまたまみんなひと見知りというか照れ屋さんだったり驚いたりして、のんさんの急な訪問にバリアをはる子が多かった。ここは公の場だけれど線がサインペンほどの濃さで引かれたプライベートの中にいるというかんじがした。お母さんとの甘い時間を味わっている。それは成長段階によるものなのか、性格によるものなのか。
わたしもひと見知りと親にいわれて育った。このごろ思うのは、ひと見知りのようなもののおおきな要因は不安なのではないかということ。のんさんは、いまのまま安心してどこまでもずんずんゆくといいなと思う。
夜ごはんは、くるみ和え(小松菜、人参)、水炊き(椎茸、白菜、大根、麩、豆腐)、ごはん。

2016年11月27日日曜日

三四七

二〇一六年十一月二十七日日曜日
晴れのち曇りのち雨
いつのまにか二度寝をしていた。この土日は、のんさんが目覚めたころ起きているのにいつのまにか眠っていて、帽さんとのんさんが朝食をたべおえたころ受けとって授乳をしながらそのまままた眠る、をしていた。起きたころには、帽さんは仕事へ出発していた。このごろ(わたしのなかで)流行っている化粧をして、床掃除をして、おひるごはんの準備をして授乳。よきタイミングであのこは、やって来た。6Bあたりの先がまあるくなった鉛筆でほんわりと描いたような、いつもより輪郭がやわらかいあのこが玄関をひらくと歩いてきた。いつも、(ああ、いいなあ。)というものを身に纏っている。好みが似ているということもあるけれど、じぶんにぴたりと来るしっくりとともにきもちよくいられるものをひとつひとつよく選んでいるのがわかる。そして、それはとてもよく似合っている。だいすきな友人のひとり。
話しながら、じぶんのなかにいるうまいこと言葉にならない、通称(もももん)が形を現していく。
それがとてもささいなことだとしても、無下な行動にちくりとして、かなしくなったり、一瞬の笑みにふわあっとしあわせをかんじてその日のビールが格別においしかったり。それはめまぐるしくて、不器用で、誠実。ポップにユーモアをわすれずに、ぽんっと一石投じられたら。 その波紋をどこまで響かせられるかしら。
話したあとに、ひさびさにぼんやりを手書きでかくときもちよくするりと正直な言葉が出てくる。のんさんが起きて、とちゅうになってしまったけれど、ああきもちのよい時間だった。

夜ごはんは、ミートソーススパゲッティー、生のりごはん。
帽さんのつくるごはん、ああおいしい。ごはんをたべながら、スイッチのはいったわたしは(もももん)の前向きなたのしい解決策をどうしたらいいもんかと帽さんに投げかける。帽さんはきのうとしくんと話したことで思い出した根っこの話をしたり。それらは、すべてつながっていて、いつもどおりといえばいつもどおりの会話をした。眠くて文章がほわわわわ。

2016年11月26日土曜日

三四六

二〇一六年十一月二十六日土曜日
晴れ
風がつめたくて、日なたでも肩があがってしまう寒さ。北風小僧の寒太郎さんはついにここにいましょうというきもちになったみたい。
あたらしい日記を書く場に載せる自己紹介とタイトルをかんがえているこのごろ。さくっと、ぱっと決めたいところなのに、うむむ行ったり来たりすすまないな。キーワードをならべたり、ちいさく文を書いてみたり、していると、真心ブラザーズの突風が流れてくる。あのうたが、なによりも自己紹介だなと思う。時間がかかってもうまく言葉にしたいものです。
夜ごはんは、真鯛のお刺身、あん肝、おひたし、ツナサラダ、ピザ。
あいこちゃんたちといっしょにごはん。おいしいねおいしいねと大ヒットだったようだ、ワイン。