2016年4月25日月曜日

131 たんじょうび

2016年4月25日月曜日


そうか、きょうは4月25日。
中学、予備校、大学それぞれ会ったところはばらばらのともだちのたんじょうび。
ともだちすべてのたんじょうびをこんなふうに思い出すわけではないのだけれど、この日は毎年思い出す。

お昼から助産院へ。
お乳のメンテナンスをしてもらう。じぶんでお乳のケアをする方法を習った際にこのごろのことを話していたら、そろそろメンテナンスしてもいいかもねーと助言をもらい予約していた。その助言をもらうまでそこまで調子がわるいと気づいていなかったのだけれど、みぎをあまりのまなかっり身体を反ったり・・・のんさんは伝えてくれていた。この土日は鼻もずーずー。油やお砂糖をいつもよりとってしまっていたのがしっかりのんさんの身体に出てしまった。きのうに至っては、鼻がつまったり咳をして1、2時間で起きてしまう夜だった。ごめんよ、のんさん。わたしのちいさなことへのちいさなぷんぷんも、のんさんがまたすこしわーんと泣くようになったのもきっとこれが原因だ。

・お乳トラブルの原因は3つ 食事・冷え・ストレス
・ 陰がつよいときは3日くらいお粥だけで過ごす
・梅醤番茶
・セルフマッサージ
・お菓子をたべたりしたらいつもより長く半身浴を
・鼻ずびずびのときは胸を温める
・気があがっているときは足をやさしく包む
こんなこともおしえてもらった。じぶんでどうにかする方法、くすりやなにかではなくてあるものや食事でケアする術をおしえてくれる。じぶんで考えて術を出せるつよさ。
のんさんは、こころをきたえるきっかけをいくつもくれる。


なにかちからになれそうな情報がやってくるのに、ここさいきんのわたしはそれが達成されたりしたときにわたしはなぜなんにもしなかったのだろう、とふりかえって気がつくということがつづけてあった。なにかがものすごく鈍くなっている。陰っている。


夜ごはんは、わすれてしまった。

2016年4月23日土曜日

129 とまと柄の帽子

2016年4月23日土曜日


いつもよりのんさんははやく目覚めた。ラジドがはじまる前には起きていたから8時前。
ふとんは干さなくてもいいかと思うそらの色をしていた。
ふりかえってみると、ここ2,3日7、8じころにいちど目を覚ましてしばらく起きて、お昼手前に眠る。つづけて捉えていたけれど、これはお昼寝なのかもしれない。

このごろのんさんは気になるものに手を伸ばすようになり、口にいれようとする。ものはうまく口に入っていなくて、指だけはとうちゃくする。わたしたちは赤児の頃に舌でなめることで、ふわふわしているとかつるつるしていそうだなとわかるようになる。それから、おおきさだったりも舌でおぼえるはず。
いろが鮮やかでのんさんの注意をひく存在サッシー(メーカーの名前だけれどサッシーと呼んでいる)をよく口に運ぼうとする。全体はもふもふしていて、手は歯固めのようにつるつるした素材、そこにでこぼこがついているとわたしにはわかる。もふもふしたそれは口にいれるとおえっとなりそうじゃない?なんて思うけれど、彼女にはそれが予測できない。そのまっさらでみているせかいはどんなふうに写るのだろう。

いつのまにかすこしかためのものもつかめるようになってきた。
手を伸ばしてふれることができる、口までの距離だとかはもうすこし。手を握り合いながらひっかき傷をつくりながらわたしの手のうごかしかたを探っている。

じっとみつめる。にこっとわらう。
彼女がぐーっと手をおもいきり伸ばしてすやすや眠るまいにちを、と思う。


母と過ごす休日。
のんさんはものすごくよくわらっていた。母もよくわらっていた。
のんさんのいろいろ、日々のたべものをありがとう。


夜ごはんは、吉祥寺の地鶏のお店にて親子丼などをいただきました。


自宅の駐車場や公園の入り口で、夜を過ごす家族がちらほらいた。夏のような風景。

2016年4月22日金曜日

128 天然のエレクトリカルパレード

2016年4月22日金曜日


昼前からベビーカーに乗って散歩をする。さわやな風に眩しい日差しが勝り日陰が涼しくてきもちよくかんじるような 気候だった。
日なたがつづく道を歩いていると、ひだり側に木のおおきな木陰をみつけた。葉っぱや枝が協力しあって、ここどうぞと用意してくれているかのよう。すーっとそこに近づいていくと、葉のあいだからもれるひかりが道に瞬いている。なまえのないかたちが足下でゆれている。10歩くらい歩いたら日なたに出てしまうそのくらいの木陰なのだけれどちいさな宇宙みたいで、満天の星空をみつけたときみたく興奮した。天然のエレクトリカルパレードみたいだなーなんて思った。なんだろう、天然のエレクトリカルパレードって。

わたしのすきなラクウショウのあたりを赤いとんがりがならんでいる。枝を切ったりするのだろうか。ラクウショウに生きるんだよと手を当てる。このごろはあまりしなかった薫りがむわっと薫った。
のんさんが生まれてから話すときにつかうものは、言葉だけじゃないんだなと思った日があった。ラクウショウは薫って話す、桜は散りながら話す、のんさんはからだをばたばたうごかしながら声を出してわらって泣いて話す。
切られた枝をごみ回収車にいれていた。土に還るものは機械が似合わない。職人の行うそれではない 枝の剪定後のすがたはイビツ。うつくしくなくてかなしい。やっぱり愛だよなーと思う。ラクウショウがげんきでありますように。

草の上にすわらせてみたら、目の前のたんぽぽが気になるけれど、うまくうごかせなくて前のめりになっていった。草をにぎってむしった。草をむしることもできるようになったのか、と感動する。

いちど家に帰り、のんさんはお昼寝。
そのあいだに、何度も書き直しているてがみをようやく書き終えられた。
起きてからいっしょに出しに行った。のんさんが生まれる前、ほぼ毎日さんぽしていたころは冬至前で14時くらいには夕方の日差しになってしまっていたから外出にはタイムリミットがあった。それが16時頃にそとに出はじめようなんて思うのだから、日が伸びた。ちいさな緊張が和らいですこし開放的なきもちになる。だから夏ってすき。
そのまますこし歩きたかったのと、旬なやさいに出会いたくなって、ふらっと知人がはじめたばかりの八百屋さんまで歩くことにした。そこでおいしそうな長芋などを買う。おまけにアスパラガスととまとをいれてくれて、小松菜はタダにしてくれた。出かけた先に話せるひとのいるうれしさよ。そして、タダになることではなくて、おまけしてくれるような余白というか空き地みたいな部分にうれしいきもちになった。八百屋さんや豆腐屋さんが比較的ある町に住んでいるのだけれど、挨拶したりのんさんに話しかけてくれるひとはとっても少ない。それがなんだかさみしいことだとのんさんが生まれてから思うようになった。挨拶したり、買い物しながら食材のはなしをしたり、赤ちゃんに挨拶してもらったり、そうできる場所がひとつふえてうれしい。またゆきます。


夜ごはんは、蕎麦サラダ(とろろ、小松菜、人参、葱)、厚揚げとやさいのカレー(舞茸、小松菜、大根、玉ねぎ、人参、ごぼう、にんにく、しょうが)、蕪の葉としらすの煮浸し、ごはん。

長芋をつつんでいるおがくずのようなものはなんだろう。ラクウショウの実のようないいかおりがした。

2016年4月21日木曜日

127 おばあちゃんは妹

2016年4月21日木曜日


きょうは、3・4ヶ月検診。市がひらく集団で受けるもの。
そわそわどきどき、うすめでカレンダーをのぞきたくなるようなきもちだった。
だからかなぜだか、検診の日である2週間前は大雨でこれはこれは、と予備日のきょうに変更したのだった。そしたら、きょうも今週唯一の雨が降る予報。なんでしょう。きもちとてんきがリンクしている。

とはいえ、身長と体重を知ることができるのだしと意気込んでしゅっぱつ。
2時間ちょっとかかるもので、半分以上は待っているじかんだった。うーん。こどもとおかあさんのためにうごいてくれているとしたら、なんだかまだまだやり方があるように思うのでした。けれども、働かれている方々もこういう運営には不慣れというかんじがとても感じられた。きもちが落ち着いていられたのも、助産院という拠り所、その場所でいろいろな意見を聞いたり話したりできているからだろうなーと思う。
子育てはひとりでするものではなく、ふうふふたりだけでするものでもないと思う。(とうちゃんかあちゃんが愛情たっぷりというのはもちろんのこと)たくさんのおとなとこども、社会でするものなのだよなーと。


帰り、 風がつよいのでもっとも最寄りなちいさなピンクのバスに乗って帰ってきた。
前に並んでいたおばあちゃんと呼びたくなる女性がたくさんお話してくれた。のんさんはにこにこ笑いかけていて、ますます会話はまあるくすすんだ。のんさんのおかげでいろんなひとと出会うことができる。
きょうはあるきっかけからこれまで出会ったひとを思い出したりふりかえるじかんがあった。出会いの場面がたくさんあった中でわたしはなかなか粗末にもしてきたかもしれないなーなんて思った。いまになってみたら話してみたいひともいるなーとか。そういうよゆうができてきたってことなのかもしれない。
気さくにおばあちゃんが話しかけてくれるみたいに、すれちがうひととも挨拶しながら過ごせたらいいなと思う。 登山のときはみんな挨拶するのだからそのまま過ごせたらいいよね。


夜ごはんは、厚揚げとやさいのカレー(舞茸、小松菜、大根、玉ねぎ、人参、ごぼう、にんにく、しょうが)、蕪の葉としらすの煮浸し、豆乳みそスープ、ごはん。

帽さんは研究 会なのでひとりごはん。

2016年4月20日水曜日

126 チューリップ

2016年4月20日水曜日


のんさんがじっと見つめるチューリップやカモミールがならぶ花壇が公園にある。のんさんと眺めながら、チューリップってこんな花だったかなと思う。花びらが、空にまっすぐ伸びて風にゆられている姿はかわいらしい。けれども花びらがのけぞりはじめて雌しべなどが見えはじめるとなんだかまったく別のかおをしている。艶かしくてにんげんの身体みたい。

親がひとりの女性、男性のかおをしているのを見つけてしまったときってこんなきもちになるのかもしれない。

カモミールやマリーゴールドなんかは隠しているものがなくてあけっぴろげでさわやか。

この花壇のお花も枯れてきている。新緑の季節へと向かっている。


抱っこひものひもをすこしゆるめると、すやすやと眠った。のんさんはのけぞったり、うーんと言ってずっとうったえていたのだな。のんさんはすべておしえてくれている。わたしが耳をすまして聞くことができるかどうか。


ここいちねんくらい思い出しては聞いている真心ブラザーズの突風。詞の一部を抜粋すると、誤解を与えそうだけれどやさしさすらかんじる。なにかがゆれてしまいそうなときこれを聞いたらいいんだなと思う。わたしのひとつのテーマソング。


夜ごはんは、厚揚げとやさいのカレー(舞茸、小松菜、大根、玉ねぎ、人参、ごぼう、にんにく、しょうが)、蕪の葉としらすの煮浸し、アボカドとしらす(檸檬を搾って)、えのきと小松菜と人参の柚子胡椒和え、青梗菜と大根と玉ねぎと厚揚げの中華風炒めごはん。

2016年4月19日火曜日

125 さくらんぼじゃなくてチェリー

2016年4月19日火曜日


今朝は、めずらしくみた夢を覚えていた。
夢と意識のあいだで、その夢のなかになんどももどろうとした。ただでさえ、えーっていう展開がさらにえーっとなったのだけれど、それでもなんだかそのなかにいたいそんな夢だった。
(だいたいいちど意識の方へいちど行くとさらにわけのわからぬ展開になるような気がする。)
目を覚ましてからも、わすれないように同じ場面をなんども思い出した。

帽さんとわたしが出てきた夢だった。そこは時代がいまではなかったのではないかと思う。中世の舞踏会のあるひと場面というような。そこでわたしたちは貴族であるようで、おおげさな格好をしていたような気がする。わたしは世間知らずのお嬢さんというかんじだった。お嬢さんのわたしのきもちもわかりながら、それをそとからみているわたしもいた。年齢もすこし若かった。

チェリーのような色が似合う、栗のような甘さをもつ、そんな夢だった。


助産院はすがすがしい風通りのよいところだなーときょう改めて思った。こういう風の通る家に住みたい。帰りに、まんまる食堂にてごほうびごはん。
なんとなしに行ったけれど、はじめてのんさんとふたりでを外ごはんをした。ゆっくり噛んでまんぷくになるおひるごはんはありがたくてきもちがのびやかになった。


夜ごはんは、ますのソテー(舞茸・葱・トマトのっけ)、えのきと小松菜と人参の柚子胡椒和え、のらぼう菜の胡麻和え、青梗菜と大根と玉ねぎと厚揚げの中華風炒めごはん。

2016年4月18日月曜日

124 ウゴウゴルーガ

2016年4月18日月曜日


授乳やおむつで起きながらも、のんさんと11時ころまで眠った。
寝かせてくれてありがとう。

そとはぴっかーん。だけれど、4じころから雨のよほう。
のんさんがご機嫌にしてくれているあいだに、洗濯物や布団を干した。
夏のような気候で1階の日当たりのわるいわが家でも半袖で過ごそうと思うほどだ。

八百屋さんに行っておきたいなーとベビーカーの用意。きのうベビーカーで風を浴びているのがきもちよさそうだったので。よしとのんさんをそとに連れていったら雨がぽつぽつと降ってきた。予定変更。抱っこひもにして出発。
日によっては、外出すらやめようかとなりそうだったけれどなんだかきょうは出ようと腹にきもちがぐっとあって、傘をさして出かけた。
のんさんと傘をさすのははじめてだ。ということは出産後はじめての雨の日の外出。
降ったりやんだり、ぽつぽつというちいさな雨音はきもちのよいものだった。それもきっとこのあたたかさのおかげだろう。

前かけ屋さんに注文していたものを取りに寄り、八百屋さん、いちど家に帰って荷物を置いてからホームセンターへ行った。

小学生の下校に重なった。人気のありそうな若い男のせんせいを小学校3、4年生のおんなのこたちが囲んで歩いている。にぎやかでたのしそうな雰囲気を纏っている。そこの輪の中にはいるけれど纏っている雰囲気のそとにいるおんなのこがひとりいた。そのうしろに自由で活発そうなおんなのこ。活発そうなA子をふりかえりながらその子は歩いていた。A子はその視線を知ってか知らぬか、いちど帰って自転車に乗っていたおとこのこを走っておいかけ、その輪をとびこえていってしまった。おんなのこは、思っているきもちに気がついているのかいないのか、さっきより輪に近づいて、まるでその輪にいるようにつとめていた。この子に気がついてしまうわたしは、こういう子だったのだ、たぶん。

違和感は違和感としてしっかりかんじるんだよー、おんなのこよ。


夜ごはんは、えのきと小松菜と人参の柚子胡椒和え、麻婆豆腐、しゅうまい、のらぼう菜の胡麻和え、青梗菜と大根と玉ねぎと厚揚げの中華風炒めごはん。

おとうふやさんでとうふを買ってきたのに、出しわすれた。がーん。

2016年4月16日土曜日

122 深呼吸

2016年4月16日土曜日


きょうは、帽さんが演劇鑑賞へ行ったのでわれらには平日である。羨ましいを怒りにしてもしょうがないし、きもちよくないので、お土産をお願いした。

またおおきな地震があった。
こころをよせています。あったかいきもちがみんなを包みますように。
ちきゅうよ、祭でもしているのかい。踊りくるっているのかい。それとも、重いのに耐えかねてちゃぶ台ひっくり返したかい。どうだろう、ひと休みするっていうのは。

たんぼぽやうすい青と紫のあいだのちいさなお花がはなひらいていたり、蕾をひらかせようとしている。きのうもみたふうけいなのだけれど、いきているなーと思った。いきているよ、いきている。


夜ごはんは、お刺身(おさかなのなまえわすれてしまいました)、のらぼう菜の胡麻和え、ふろふき大根、青梗菜と大根と玉ねぎと厚揚げの中華風炒め、南瓜の塩蒸し、ごはん。

121 facetime

2016年4月15日金曜日


ひさしぶりに父方のばあちゃんじいちゃんと電話で話した。ずっと会っていなくて声も聞いていなかった。会わずにいると、そのひとという色のあながうすまっていく。その穴の部分が、ふうけいに馴染んでいってしまう。
声を聞いたとたんに、はっと、またわたしの中で色が濃くなった。顔をみたいなーと思った。電車でちょっとがんばろうかなと。

すこしごたごたとするきもちが生まれて、なかなか会わずにいた。小学3年生から数年間おばあちゃんの家でほぼ暮らしていたようなもので、育ててくれたのだ。帽さんとの結婚と、のんさんの誕生で、ごたごたがどうやら和らいでいっている。ひとがいるってそういうことだ。ひととひとをつなげる。


知り合いの八百屋さんがオープンするので、行ったことのない町のエリアに足を運ぶ。行きはバス、帰りは歩いた。なにかが売っている活気のあるところよりも、いまはのんさんがうとうとできる木々や土のある虫のいるところにいるのがわたしも落ちつくようで、気がついたら公園へ向かっていた。


夜ごはんは、のらぼう菜の胡麻和え、ニラのチヂミ、青梗菜と大根と玉ねぎと厚揚げの中華風炒め、春きゃべつのロールキャベツ(つづき)、南瓜の塩蒸し(つづき)、ごはん。


のんさんはお風呂上がり、すこしのんで、まんぷくそうなのでお布団にごろん。
夜ごはんの準備をしているあいだに眠っていた。

眠そうな帽さんを起こしながら、しゃべるごはん。のんさんもおしゃべりできるのだけれど、たわいもない会話をしたいのだもの。

2016年4月14日木曜日

120 apple musicをはじめてみた

2016年4月14日木曜日


さんぽはのんさんが眠るためにと歩きはじめることが多かったけれど、わたしにもひつようなものなのだなーと気がついたこのごろ。

ずっと家にいたり、あたまの中で会話をつづけすぎると、もくもくしたもので目や耳がふさがれる。いそいそとして、あたまがとっちらかっていく。歩きはじめてすぐは、まだあたまの中にいて景色がなかなか入ってこない。見えているけれど見えていない。

のんさんに話しながらもくもくをはらって、けいたいでんわもさわらずにぽけーっと歩きつづけて、わあっと新緑が入ってきた瞬間があった。
そこにあるからといっても見えたり見えなかったり。同じわたしでも同じでなくて、チューニングがぴったり合うときにやっとみえる。


どうしてもたべたいと昨晩みんなが寝静まってから巻くところまで終えた春きゃべつでつくったロールキャベツ。こんなにわくわくな夜ごはんはひさしぶりだ。追われているようにつくるばかりでなくて、追いぬいてウインクきめてやりたいもの。


早川ユミさんの本をお風呂で読んでいる。憧れるもの、つよさ、差をおおきくかんじて、なんだかそわそわ慌てている。30歳になったときに、何をしていると言えたらいいのよという大学の先生のことばがここ数年わたしとともにあった。そうして、そろそろそのときがやって来る。やさしいことばだったはずなのに、ひりひりすることばになってきた。ぎゅうっとなにかにはめたりつめこんだりできないからここにたどり着いた。なまえを手にいれようなんていまさらどうして思ったのだろう。
これまで目標を決めてすすむということをしてこなかった。漂ってきた。
それでいいのか。それがいいのか。やりたくないとやりたいはあるんじゃないか、そんなことを考えたりぼんやりしたり。


夜ごはんは、春きゃべつのロールキャベツ、あさりときゃべつときのこの炒めもの(つづき)、ふろふき大根(つづき)、人参・キャベツ・しめじの胡麻和え(つづき)、ごはん。

2016年4月4日月曜日

110 前かけ

2016年4月4日月曜日

5年ぶりに帽さんが前かけを新調するので、のんさんとおつかいへ。
ぽかぽかというよりじんわり汗ばむくらいの暑さだ。
きのう夜に蚊が出たのはそういうわけか。

ふとんの上に横になっているのは暑そうで、ベビーカーに乗ってさんぽをする。
公園の折り返し地点でおなかもへって眠くてわんわん泣き始めたので、抱っこしながら片手でベビーカーを押して歩いた。それでもとちゅうからわんわん泣きはじめたのと何度も抱き直してをしていてなかなか進めないので、さいごはもう一回乗ってもらって急ぎ歩き。
もうおうちが見えるよーと声をかけるとすこし泣きやんだり。
家に着いて、授乳をして眠った。
いつもの格好では泣くほどにきょうは暑い。
そろそろ肌着も変える時期なのかな。
のんさんの様子と声を聞きながら、ちょうどよいをさがしていこうと思う。


夜ごはんは、豚キムチ炒め、蒸しじゃがいも、油揚げともやしときのこの炒め煮、ごはん、重ね煮のお味噌汁。

眠っているあいだと帽さんが帰って来てすぐに、どどどーっとごはんをつくる。
急いでなにかをいちどに行なうとアドレナリンが出て、どくどくする。
そのあともなかなか落ち着かなくて本もうまくよめなくなるもんだ。
いままでそういうことにも慣れっこになっていて気にとめなかったな。

みんなが眠ってから気になっていた床そうじをする。
わたしにはいまわたしのつくえというのはなくて、床のようすがわたしのようすなのだと思う。
拭き終わったらきもちがすっきりした。これで眠れそうだ。