2016年7月31日日曜日

228 夏の層

2016年7月31日日曜日

朝はよく晴れていた。よく晴れているなーと思いながらかけてもらったタオルケットにくるまって二度寝をした。
明け方のんさんがあたまに汗をかいていて、まわした扇風機で思いのほか身体が冷えていたみたい。近ごろ夜中に機嫌よく起きて遊んだりする。きのうも、0時ころから1時間くらい畳の部屋とちゃぶ台でなにかをじっと見つめたりにこっとわらったりしながら起きていた。いつもならえいやっと起きるけれど、帽さんがいて二度寝が許されることのありがたさよ。洗濯も終わっているなんて、休日がやって来た。


公園を散歩して、売店でアメリカンドックを買ってたべた。コンビニよりすこし高くて、コンビニよりもふにゃふにゃしている。たべはじめると、あちゃーっと思うのはわかっているけれどきらいになれないこの売店。口の中にしょっぱいがしばらく残っていた。
お気に入りのお店に寄って、たまたま発見した素朴なパン屋さんでお昼を買っていたらお天気雨に遭う。お店の屋根に雨宿りさせてもらったら、夏の青した空が帰ってきた。濡れた地面が乾くほどによく晴れて、夏の中を歩いて帰る。家に着くとまた雨が降っていた。

夜ごはんは、サラダゆばうどん、干物のカレイ、とうもろこし。

2016年7月30日土曜日

227 歩く早さ

2016年7月30日土曜日


日差しはつよいけれど、風は涼しい。「軽井沢みたい」とともだちは言っていた。

大学時代からのともだち2人が遊びに来てくれた。ネイルをしてヒールを履いて、ブランドのものを手にしている彼女たちとわたしは、一見、共通部分が少ない。

ちゃぶ台に、畳、どんどん時代と逆行していくようなわが家に入り一言目は「ちょういい家だ」だった。
公園を歩きながらも、「いいところだねー。 なつやすみだなーきょう。きょうは、なつやすみにしよう。」と。
ともだちの理由は、表面的にはみえない。

根っこのやさしい彼女たちは、大学時代のわたしを放牧してくれていた。好きなときにおいでと言いながら、離れずにいてくれた。のんさんもひと見知りせずわらっていた。わかるよね。


夜ごはんは、梅紫蘇肉巻き、胡瓜と味噌、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

本日も、ひとりごはん。食べ終わるころ帰って来た帽さんとの話は、眠くならなかったらどこまでもゆきそうで、けれどもなにを話していたかすっかり忘れてしまった。


「土や種、木みたいだね」ということばをもらった。大事にしよう。

2016年7月29日金曜日

226 ぷかぷかの布団

2016年7月29日金曜日


整体の帰り、オーブンミトンの看板をたまたま見つけて長野のお家へのお土産を買った。当日東京駅にある中からこれかなと、どたばたな時間の中で選ぶことが多かったお土産。こうやって前もってたべてもらいたいを選べるのはうれしい。

とある記事を読んで、わたしにはできていなかったと思いそうだったことがあった。けれど、帽さんと話してわかったのは軸がちがったということだ。なにかを聞いたときにわたしは違うと言えるくらいに考えつくしやりつくしていないための弱さかしら。違ったと気がついたときの、なにかがぴたっとはまったような感覚。きもちがよかった。つくるより生きる。

夜ごはんは、おばあちゃん煮、きのうのお昼のお惣菜、冷奴、梅紫蘇肉巻き、ごはん。

近ごろ、夜ごはんの後にデザートの時間がある。お茶をのみながら、すこし先の話をしている。ふつふつとちいさな気泡がみえるかみえないかぐらいの火加減でゆっくりと温め中である。

話していて気がついた。なりたい存在の仕方というのか役割というのか、それはずっと変わっていないということ。それはどんな手段でもできる。帽さんは、「どんなことをしていてもそういう役になっちゃうんだよ」と。ただなまえがない。まだない。

2016年7月28日木曜日

225 なつやすみの登場だ

2016年7月28日木曜日

としくんとはじめましてのんさん。としくんが選んで買って来てくれたお惣菜と蒸かしたじゃがいもととうもろこし、きゅうり、おばあちゃん煮、重ね煮のお味噌汁、ごはんをちゃぶ台にのせたら贅沢お昼ごはんとなった。

帽さんとのんさんは、公園で昼寝。
としくんとはずっと長くいるような気がする。縁のあるひとなのだと思う。げんきそうでよかった。


夜ごはんは、南瓜と人参と大根の梅胡桃和え、おばあちゃん煮、納豆、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

帽さんは、話し合いなのみかいに向かったのでひとり飯。

2016年7月27日水曜日

224 あわてんぼうの看護師さん

2016年7月27日水曜日


6・7ヶ月検診。よく通っていた近所のお医者さんのところへ。
のんさんは堂々としていて、めそめそ泣くこともなかった。順調にすくすく育っていることを確かめられるのはうれしい。おばあちゃん先生には「しっかりしているわねー」と何度も言ってもらった。

「これからは海外へ行くのだから最低限のは打たなきゃだめよ。」
「選べばいいのよ。わたしたち医者も選んでいるから。」
どきどきそわそわの理由への返答。思ったよりも軽やかな返答で爽やかなきもちになった。


夜ごはんは、冷奴、蒸かした茄子、おばあちゃん煮、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

のんさんがにこにこすくすく育ってゆきますように。

2016年7月26日火曜日

223 ハッピーバースデイ

2016年7月26日火曜日


目を覚まして、窓の外を覗く。傘を差しているひとが歩き、大きな道にくるまが連なっている。わたしたちはお休みだけれど平日。この町に暮らすひとたちのきょうはもうはじまっている。

帽さんが思いつづけてきたそれに会うことがこの旅の目的で、帽さんのどきどきそわそわが身体からじわんとにじみ出ている。
平日午前中の電車は空いていて、携帯電話を見ているひとも東京よりずっと少ない。はーって深呼吸できるような、大丈夫と安心して腹の真ん中あたりにぐっと力をいれる余裕ができるような、そんな時間の流れ方をしてる。話し方も電車の佇まいもあったかくて心地よい。

帽さんは思いつづけたそれと会って、営んでいるひとと会って、じぶんのペースでひとつひとつを確かめていた。浮き足立つようなそんな素振りはないのだけれど、静かにふつふつと喜びが溢れている。店主さんの奥さんは、あかるくわらう気さくな方で風通りのよいひとだった。家族で営むということはそんなに特別なことじゃないのだよな。

新幹線と電車とタクシーを乗り継いで、近所の公園に着くと青々とした緑の匂いがして、深呼吸した。帰って来た。

夜ごはんは、出前のお寿司。
オーブンミトンのバースデイケーキは最高であった。


2016年7月25日月曜日

222 プールとくしゃみ

2016年7月25日月曜日


やって来た、大阪。
どったんばったんとやって、ようやくホテルでふーっとして。夜ごはんの途中で帽さんは眠った。

大阪市駅の改札を出て地下鉄の改札まで歩くと、東京ほど歩くペースのはやいところってないよなーと思う。口に出すと帽さんも、同じように思っていたようだ。どこかゆとりがある、まだここには。

引越しを数回した幼少期だけれど、関東にずっといる。東京というところに執着が実はあるのかもと、一昨日くらいにふっと思った。離れると不安と思っているか、もしかしてと。けれど、携帯電話のように手放したらどんなに楽そうだろうと思いもする。
新幹線で2時間半。こんなに時間の流れ方が違うのだ。この感覚を鈍らせちゃいけないなと思う。せかいはここだけではなくて、文化はさまざまで、境目なく広がっている。肌で感じていく必要がある。


夜ごはんは、南瓜と人参と大根の梅くるみ和え、ホテルの近くのスーパーで買ったお刺身とお好み焼き、牛丼弁当(帽さん)、大阪名物てんこもりなお弁当(わたし)。

のんさんと歩くと、いろいろな方と会話ができる。うれしい。会話をした3名のおばあさまそれぞれの表情はやわらいだ。のんさんはかたちのないプレゼントを渡しながら歩いている。種蒔きしているみたいに。
そのうちのひとりからは、「生まれてきてくれてありがとうね。」をいただいた。

2016年7月24日日曜日

221 いるかとかっぱ

2016年7月24日日曜日


きのうまでひんやりとしていた。長袖のシャツを着ていても肌寒さをかんじるような気温で、いまは何月だっけと忘れてしまいそうになる。

きょうはお日様がのぼってあたたかい。「ひさしぶりー」と特別挨拶するわけでもなく、すみませんなんていうきもちもなく、きょうはのぼってみたよとからっと笑っているみたいにそこにいる。


きのうは、はじめて亡くなった方と会った。どういう言い方が適切なのかわからないけれど、かんじたことを記しておきたくて日記を。

わたしが生まれる前から両親との付き合いのあるひと。わたしからみると、会った記憶はぽつりぽつり。でもほそい糸がずっとつながっているような、いることが両親くらいにあたりまえだったと思いかえすと思うひと。幼いときからずっとみつめてくれていたのだと思う、あのやさしい瞳で。 口調はやわらかくない。口達者な母のことをしっかりみて怒ってくれるのがこのひとと奥さん。ふたりは必ずわたしの味方だと言ってくれる。

たしか小学4年生のとき、友達のお母さんが亡くなってお家に行ったことを覚えている。亡くなったお母さんと会っているのかどうか覚えていないけれど、わたしの身の回りでだれかが亡くなるというのはそれ以来だ。

この前会ったときと変わらないような、ふらっと出かけるような心持ちでその方のいるところへ向かった。悲しいでもなくて、寂しいでもない。こわいでもない。まだそんなきもちになれるほどの実感ないのだなと、この日記を書きながら思った。


お布団に眠っていた。流れる空気も湿っぽさはなくやわらかく適温。みんなは眠っているみたいだねと話していたけれど、やっぱり眠っているのとはすこしちがった。しっかりみつめておこうと思ってじっとみつめた。すこし青白い肌、細くて先がするっととんがって下を向くような、植物のツタのようなお鼻。こんなにきれいだったのかと思った。わたしはこんなにしっかり見つめたことがなかったのかもしれない。その方のおかあさんはきらきらとした瞳でのんさんとお話してくれた。お母さん似であるそのひとは、たしかこんな瞳だった。

「やっぱり触るとつめたいんだよ。」触ってもっと近くからも見つめて目に焼き付けるべきだったと思う。そこに漂うさまざまなきもちや気遣い、手前の薄い膜みたいなものに気をとられて大切な奥の方を置いてけぼりにする。そして、「ああ、」と思い出したりする。いまそんなきもちだ。

丁度いま読んでいる吉本隆明さんのフランシス子の内容、書かれていた言葉が重なってくる。中間。どちらかでもないし、これというぴったりもない。ということをしっかり持って。このきもちも持ったまま歩もうと思う。
こんなふうに日記にしながら。


喋らなくてもそこにいるそのひとを焼くということ。じぶんで手渡すその瞬間のきもち。ああ、。


夜ごはんは、南瓜と人参と大根の梅くるみ和え、たらこスパゲッティー。

食後、2階のふたりが来てくれて、帽さんの20代のおわりに語らう。

2016年7月21日木曜日

218 らっぱを吹いた

2016年7月21日木曜日


黄色い扉。背の低い、洞窟のような空間。路面かまたは街のような建物内にある雑貨屋さんのようだった。なぜだか日本というよりヨーロッパのどこかの国の、夜に近い時間、薄曇りのお天気な雰囲気。コロンカランとひとが入ってくる。わたしはそこの店主のようだった。ある時間になるとその雑貨屋さんのような場所は移動する。新幹線なのか汽車なのかに連結されてがたんごとんと移動する。その出発間際になるとひとが増えていく。来たひとたちは、床やソファに座っている。わたしはにこやかに挨拶してその場所の温度を保っている。地下もあったような気がする。

こんな夢を見た。宮沢賢治というキーワードを眺めてから目を閉じたからかしら。移動雑貨店。

近ごろ日記を書いていなかったのは、携帯電話ん眺めると疲れてしまうからです。なにかいいやり方はないものかと考えているけれど、日記はつづけたく思っている。


ひんやりとしているざーざー雨の日のきょうは、のんさんとのんびり家で過ごした。お掃除もお休みして、あたまの中で次のことを考えるのもなるべくやめて、のんさんところがったりあそんだり。のんさんはにこにことよくわらう。せっせっせーのよいよいよいと手をうごかしながらいっしょにやると、がぶっと指をたべる。それにわらうとなんでだろうというような、目をみひらいてこちらをみつめる。
えほんをよむと、じーっとみつめて、絵に手を伸ばしてつかもうとする。きょう指人形のえほんをよむと、ページをひらくたびににこにこきゃっきゃっとわらい喜んだ。くまさんのうごきなのか、えほんをめくると絵や色が変わるからなのか、彼女の中にわらいたくなるなにかを見つけられるようになったみたい。

夜ごはんは、蒸かしじゃがいも、夏野菜炒め(じゃがいも、玉ねぎ、ピーマン、ミニトマト、鶏肉)、重ね煮のお味噌汁、夏野菜のカレーライス。


ヨットの帆を立てて、風をよんでいる。そんなときなのかもしれない。発信と対話、できることからみえることからしゅくしゅくと。

2016年7月15日金曜日

212 ため息よ、その手を温めたらいいよ

2016年7月15日金曜日


いま読んでいる本、吉本隆明さんの「超恋愛論」に荒立っているなにかを撫でてもらっている、ようだ。因習や伝統や家族制度などの泥沼が足元にはあって、それも含めなくては恋愛を語れないよと書いている。男と女の役割は、まだまだあって閉ざされた役割を女性は担いやすいということを言っている。
「・・・女の子の時間はこま切れにしてしまってもかまわない、と大人たちは思っていて・・・」
「だから、子どもが集中して何かやっているな、と思ったときは、お使いを頼んだりせずに、自分でおかずを買いに出かけたりしていました。」

整体の帰り、黄色い電車の中で7名ほどの高校生が乗ってきてわたしとのんさんの周りを囲んだ。はじめ、ぼーっとしていて聞こえていなかったけれど、のんさんの話をしている。かわいいとか、目が合ったとか、華やかな声で女の子たちがつぶやいて、2人いたうちのひとり、いい奴というかんじが溢れ出している男の子がにやっとして照れたりしていた。のんさんはお構いなしに舐め回すようにそれぞれの顔をみつめる。目だけではなくて顔もからだもぜんぶ向けてみつめる。愛想を振りまくわけではなくて、なんだ?と真顔でみつめつづけていた。堂々としていて、ひるむこともなくて、相手にいやなきもちを与えるわけでもない。母は、このかんじでいいと思うぞ。いいぜ いいぜ 女の子っていいぜ。

夜ごはんは、人参カレー炒め、たけのこ豆腐わかめの炊き合わせ、ブロッコリーと北海しまえびとズッキーニの炒めもの、冷やっこと温やっこ、重ね煮のお味噌汁、コロッケの卵とじ丼。


2016年7月14日木曜日

211 本を買うという行為は消費か投資か

2016年7月14日水曜日


午前中の後半くらいからおやつのじかんくらいまでだけが晴れ、ほかは雨という極端なお天道さんの予報。うとうとしていたのをえいやっと起きて、布団を干して、お粥をたべて、駅前へ。どうしてもなのは、お米を買うということと銀行。
歩きはじめるとエネルギーが湧いてくる。あっついのだけれど、ぐんぐんがもんもんをさらさらっと流していく。まだ晴れていそうかなとすこし寄り道。

どんどん曇っていく空。スーパーから早歩き。前にはのんさん(推定8.5kg)、後ろにはお米(白米5kg +玄米2kg)、腕には炭酸水(500ml×4)など、、18kgくらいを身に纏ってずんずんずんずん。なんとかゆけるものなのだ。
家についてお布団をいれると大粒の雨の音。お天道さんがみてくれているのか、のんさんパワーなのか、ほんとうに毎度ギリギリセーフ。家に着くと雨が降る。きょうもありがとう、と思う。

情報と情報といっしょに巡る感情についついやられてしまって、ニュースの見過ぎはいかんなーと思う。そんなときに、なぜだか吉本隆明さんの本を読みたくなる。爽快なきもちになる。本質はいつでもどこでも。超恋愛論という本、すぐに読み終わりそうだ。


夜ごはんは、人参カレー炒め、たけのこ豆腐わかめの炊き合わせ、ブロッコリーと北海しまえびとズッキーニの炒めもの、冷やしうどん(キムチ、納豆、モロヘイヤ、しそ、みょうが)。

たべながら、たべおえてから、プログラムの話をする。もらったキーワードからぺらぺらべらべら話す。すんすんうんうん聞いて、すいすいといっこの塊ができた。いい時間になるといい。

2016年7月8日金曜日

205 あかるいくもり

2016年7月8日金曜日


駄菓子屋的なことを行っていくというのは、場を持つ・現場をつくる以外の方法もあるということを見つけた20代さいごの日。30 代こんにちはの日は、歩きはじめる一歩目になりそうな再会があった。これから向かう方向はあっちかしら。やろうと決めたこともあるからえいやっとしたり、ふーーーーーっとしたり、すいすいどんどこだ。

毎年、ほぼ曇り予報。暑い日がつづいていた中のきもちのよいあかるい曇りは心地よくてけっこう好きだなーとはじめて思った。こんなふうな存在としていられたらよいのかしらと思ったり。
あいこちゃんとすーさんとおさんぽして、用意してもらった和菓子でお祝いしてもらった。のんさんとずっといっしょに過ごせて、帽さんもいる。
おめでとう、わたし。
ありがとう、わたし。
なんてちいさな声で言ってみる。

きのうから心地よく聞こえる、聞いている音楽は、向井秀徳さんの自問自答。それから、安藤ウメ子さん。そんな20代のおしまいと30代のはじまり。

夜ごはんは、豆腐のサラダ(アボカド、きゅうり、水菜)、焼き鯖、たこのお刺身、ゴーヤチャンプルー、塩麹炒め、ごはん。
帽さんが作ってくれました。

30 才になった日の食卓の会話は、絶対零度のふしぎ、ちいさいの限界はない、科学と神話、形式美へのぎもんと文化人類学、そしていつもどおり途中で帽さんは眠ったのでした。

2016年7月7日木曜日

204 にじ

2016年7月7日木曜日


起きて一言目は、「七夕なのに晴れている。」だった。

たんじょうびの前日。当日よりもそわそわしている。当日よりもはりきっているかもしれない。
生まれる前の日に陣痛がやって来たり、いきんだり。産んでいる最中は前日で、やっほーとそとの世界に触れたのが当日。そわそわしたっておかしくないんだなーとのんさんを産んでから思った。

10代さいごのごはんは、ナカウの親子丼だった。部会の後、暗室で作業してだいすきな先輩たちとあいこちゃんとたべて、終電だったかなーの混み合った電車の中で20代を迎えた。ナカウだったなーと思いながら親子丼は好物のひとつだからいい締めだったかなと思ったのを覚えている。


東中野のポレポレ坐、高山なおみさんのえほんの展示へ。眠かったのもあるけれど、のんさんはずっと声をあげていた。パワーを感じていたんじゃないかと思う。入って右側、原画とえほんにまつわるであろう絵たちが大小でこぼこにきもちよくそこにあって、ぼけーっと眺めていたくなる壁だった。立ちながらチャイをいただいて、絵を眺めて、高山さんのえほんができるまでのノートをめくった。もうあのへやいっぱいに高山なおみさんだった。


夜ごはんは、ゴーヤチャンプルー、塩麹炒め、蒸した茄子、納豆キムチ豆腐、重ね煮のお味噌汁、ベトナム風チキンカレー。

2016年7月6日水曜日

203 しろい茄子とあおい茄子

2016年7月6日水曜日


すぐそこに見えているのに。今週はたんじょうびウイークで、20代とたのしくさようならしようとるんるんしていたはずなのに、調子が出なくてもよよんしている。きのうときょうとまた違うことを思って、ぱっきり決められずくよくよが見られるな。

そんなときにはあたまでことばがとっちらかって、ときどき整列して現れる。


なんて書いて、のんさんが眠っているあいだに掃除か夜ごはんの支度をしようかなと思いながらえいやっと眠ったら2時間くらい眠らせてくれてすっきりしている。休みがひつようだったのだな。のんさんはいつだってさいこうだ。そしてまだ眠っている。

夜ごはんは、ゴーヤチャンプルーのような炒めもの、蒸した茄子、肉味噌レタス巻き(カレー味)、野菜炒め(柚子胡椒と七味と塩麹と胡椒で味付け)、ごはん。

2016年7月5日火曜日

202 かるだもんもん

2016年7月5日火曜日


夜ごはんは、タイ風汁なしラーメン、アボカド、肉味噌レタス巻き(カレー味)、野菜炒め(柚子胡椒と七味と塩麹と胡椒で味付け)。


きょうの料理のホームページに載っていた高山さんのレシピでチャイをつくる。砂糖をいれなくてもおいしい。スパイスも揃えたからいつでものめる。うれしい。長袖でもきもちよく過ごせそうな気候のきょうに、温かなチャイはよい相性。


帽さんの帰りが遅いのでのんさんとお風呂。入浴後、授乳をして近ごろはすぐに起きたり眠らなかったりしていたけれどすんなりと眠る。食欲もうんちくんも調子がよくなってきた。身体が調ってきているのかしら。
帽さんとよしごはんとなったら、にこにこと起きて食卓へ向かおうとするのんさん。のんさんはいつも律儀。

2016年7月4日月曜日

201 鳥がピューッテ

2016年7月4日月曜日

夜ごはんは、蒸しとうもろこしとじゃがいも、肉味噌レタス巻き(カレー味)、野菜炒め(柚子胡椒と七味と塩麹と胡椒で味付け)、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

身体を調えに行った。のんさんは汗となみだをたくさん流した。はじめての夏なのだ、なにがなにやらてんてこまいかもしれない。家に着いたら、空があれやこれやをたくさん流した。雷も落とした。じわじわとではなく、突然はじまった。ドンガラガッシャーンっといろんなものをひっくり返して、さがしものでもしているみたいだった。

のんさんが生まれてから夕立ちは家につくとはじまる。そうそう、夕立ちということば、わたしはすきだなーとふっと思った。どこからどこまでを夕立ちと呼ぶのか、わからないけれど夏の夕方からの雨は夕立ちと言おう。

つるさんにいただいたオレンジをじょうずに吸って、ひっしにたべた。
うんちくんを2回出して、いいかおして眠った。
きょうも、おつかれさま。

2016年7月3日日曜日

200 Titleと青とウポポ

2016年7月3日日曜日


夜ごはんは、とりじゃが、揚げ茄子の味噌のっけ(帽さん作)、アボカド、とろろ、ざるうどん。

つめたい素麺は飽きやすい。
茄子は万能。ああ、おいしい。
トマトは調味料になる。


午後 、帽さんと待ち合わせをして荻窪のtitleへ。のんさんは眠って付き合ってくれた。かかっていた音楽との出会いがなによりのプレゼントだった。店主さんが紙に書いてくれたアーティスト名のメモをレジでさっと渡してくれた。距離と温度と密度と、うれしくありがたくすてきな場所だった。

ファンタジア / ブルーノ・ムナーリ
整体入門 / 野口晴哉
マッシュ9 / 菊池亜希子
まえのひを再訪する / 橋本倫史
都市の遊び場 / アレン・オブ・ハートウッド 夫妻
即答力 / 松浦弥太郎
無意識の構造 / 河合隼雄

2016年7月2日土曜日

199 はりきるテンポ

2016年7月2日土曜日


夜ごはんは、豆腐ハンバーグ(お母さんが買ってくれたお惣菜)、茄子のお漬け物、とりじゃが、タコスサラダ、アボカド。

母とランチ。ひとあし踏みいれると、ここが吉祥寺であることを忘れてしまうようなお寿司屋さんへ。日本酒とカウンターと常連さん。常連さんたちはこのあとどういったところで休日をたのしむのだろう。

2016年7月1日金曜日

198 歯ぬけの贈りもの

2016年7月1日金曜日


この5年くらいどこかからどこかへの移行期だな、とかんじている。細胞も含めて、変わるは絶えず起きているのだろうけれど、なぜだかなんだかそれをつよくかんじている季節にある。そして、いま、わたしが追いつけないくらいの速度でもって、変わるをしていそうで、向かう先もみえていない意識のあるわたしはぼわわわわーんとしたりする。おなかがごろごろぐるぐる言っているみたいな気配のときだ。

と書いていたら、石井ゆかりさんの週報もこんなことが書いてあるんだもんな。


よくもわるくもメタ認知がないらしいわたしが気がついたことを帽さんに話すと、「そうだよ。」と言われることが多々ある。けっこうびっくりな、おおきな気づきだと思うものも、空振りしたみたいな返答が返ってくる。知っていたの?!となる。帽さんは、すてきなファシリテーションみたいに気づくまでなにか言ってきたりしない。


整体のクラスへ。ちいさな出来事のように思っていたことも、おおきな根っこになる。身体はまっさらな目でみつめて、記憶してしまう。わすれてくれない。意地がわるくて、不器用に素直だ。

夜ごはんは、とりじゃが、くるみ和え、納豆、重ね煮のお味噌汁、ごはん。