整体の帰り、オーブンミトンの看板をたまたま見つけて長野のお家へのお土産を買った。当日東京駅にある中からこれかなと、どたばたな時間の中で選ぶことが多かったお土産。こうやって前もってたべてもらいたいを選べるのはうれしい。
とある記事を読んで、わたしにはできていなかったと思いそうだったことがあった。けれど、帽さんと話してわかったのは軸がちがったということだ。なにかを聞いたときにわたしは違うと言えるくらいに考えつくしやりつくしていないための弱さかしら。違ったと気がついたときの、なにかがぴたっとはまったような感覚。きもちがよかった。つくるより生きる。
夜ごはんは、おばあちゃん煮、きのうのお昼のお惣菜、冷奴、梅紫蘇肉巻き、ごはん。
近ごろ、夜ごはんの後にデザートの時間がある。お茶をのみながら、すこし先の話をしている。ふつふつとちいさな気泡がみえるかみえないかぐらいの火加減でゆっくりと温め中である。
話していて気がついた。なりたい存在の仕方というのか役割というのか、それはずっと変わっていないということ。それはどんな手段でもできる。帽さんは、「どんなことをしていてもそういう役になっちゃうんだよ」と。ただなまえがない。まだない。
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