2016年11月30日水曜日

三五〇

二〇一六年十一月三十日木曜日
晴れと曇り
帽さんのおつかいにゆくの日。
今週末は、帽さんのともだちの結婚式。中学時代からの仲。部活も、職種も、名前の漢字も同じ(よみかたは異なる)。そのころからいまも、毎年夏になるといっしょにキャンプへゆく彼は、わたしとのんさんのことも招待してくれた。いざ、松本へなのだ。
いままでは、ふだんのじぶんとかけ離れすぎて、よそよそしいままよそのひとになってしまって式というものに進むきもちを持てていなかった。すすまないきもちは、身につけるものもすすまないものを選んでしまう。このくらいでいい、と。けれども、洋服も化粧もちょうどよい距離感をさがせばいいのだなということにようやく気がついた。それからというもの、いつでも呼んでくださってというきもちでいる。�帽さんもこのごろそんなきもちになったようで、ちょうどよいネクタイとシャツを探していると、出発二日前に打ち明けられる。(よかったら、みてきてもらえないかな。)がってん!
そんなこんなで、こんにちは未知の世界ネクタイ・シャツ編。
わたしが知っているネクタイのお店は、ひとつだけ。そこはちょうど吉祥寺に店舗をオープンしたと。お客はのんさんとわたしだけ。式といったらこうでないとというルールがさっぱりだったので聞きながら、ああでもないこうでもない。マネキンさんにひとつひとつ合わせてもらう。帽さんが選びそうなシンプルなものと、わたしが選ぶあそびのあるものと、むむむと悩んで最終決定権をのんさんに託す。(ああ)と手を置いたのは後者。じぶんでは選ばないだろうけれどきっとつけたらいいかおになるさ。
のんさんの授乳とおむつ替えがてら東急へ。ふらっとメンズのシャツとネクタイのコーナーに立ち寄るとシルバーのネクタイが何重にも層になっている。遠目だとひとつのかたまりにみえるほどに同じ。これがいわゆるなのね、と知る。この中から選ぶなんて、いやはやいやはやちょう難題だ。あのネクタイにしてほんとうよかったと思うのだった。シャツの襟の話を聞き、気になるものはフォーマルコーナーにありますと連れて行ってもらう。わたしには未知の領域、フォーマルの宇宙にてずっとずっと年輪の輪をふやしているのをかんじる父より年上であろうおじさまがとても丁寧に接客してくださった。S・M・Lなんていうざっくりしたサイズ感ではなく、首まわり・腕の長さ・丈の長さの組み合わせからぴったりのサイズをみつける。そんなことも知らずに来てしまったわたしに、身長と普段着ているサイズを聞き、うーんうーんといっしょに考えてくださるおじさま。となりのコーナーのおばちゃま(おじさまよりは若い)にも、この方はカジュアルにもいた経験があるから(S・M・Lとここでの測り方とどちらもわかっている強い味方)と相談してくださって、これにしましょうとサイズをみつけられたことをいっしょに喜んでくださった。深くてひろいうみにぽわわーんとやってきてしまったわたしにも寄りそってくれる、執事もすてきになさいそうなこんな方がしずかなフロアにいるのだ。お喋りしながらサイズをさがしている時間はなんだかたのしかったなあ。
夜ごはんは、わかめの柚子味噌のっけ、やさい炒め(生姜、たまご、琥珀茸、きゃべつ、蕪の葉、蕪、玉ねぎ、人参)、あにさんに教わった煮物(ぶた肉、里芋、蓮根、大蒜、さつまいも)、ごはん。

2016年11月29日火曜日

三四九

二〇一六年十一月二十九日火曜日
晴れ
ふとした思いつきで連絡をする。すぐに返ってくるときは、そういうときだと会いにゆく。つくった柚子のジャムと柚子の味噌を新聞紙に包んで。制作三昧の日々だろうからとおせっかいまん母心、なんとなくサンドイッチも買ってゆく。
玄関をあけてくれたいくこさんをみて思い出した。ああ、つくるってそうだった。手をうごかすというのは、手をうごかすだけではないということ。それだけじゃなくってむき身状態。生まれたての赤子のごとくほわほわで、もうなにを言われたって泣きそうになったりするような、こころがそとがわに出てしまっているような、すべてがぴりりとしみやすい、あたまからだぜんぶまるごとうちゅうの中。短距離走をはしるときに息をとめて、すぽっと入り込み潜る。つくるってそうだった。
そんな中に、例えるならば裸足にビーサンなのんさんとわたしが入ってしまった。制作のお邪魔にならぬようはやくお暇しようとそれくらいでとまっていた想像力、おでこにぺしんと手のひらあてる。
のんさんは着いて早々うんちくんをするというリラックスっぷりで、テーブル(もともと帽さんがつかっていたものを、いくこさんたちがもらってくれてここにいる)のまわりをくるりと探検していた。テーブルをつかっていないいないばあをしたり、カホンをたたいたり、くつろぎたのしんでいた。
またねと手をふる。のんさんはみえなくなったころ、手をふっていた。そのあと届いたメールの言葉をよんでほっとした。ああ会いに行ってよかったのだ。
夜ごはんは、くるみ和え、水炊き、しめのうどん。
すーさん二歳のたんじょうび。はっぴいはっぴいばーすでい。

2016年11月28日月曜日

三四八

二〇一六年十一月二十八日月曜日
晴れ つめたい風ぴゅーぴゅー
ねむくてねむくてねむくてねむくて。どろっとでろっと、音でいうとそんなふうに布団のなか。
こうえんにて、おむすびをたべるけれど思いの外つめたい北風。三鷹市星と森と絵本の家(どうしてもなまえが覚えられない。いまも、検索。)へ行くことにした、バスに乗って。シンプルでしずかに粛々と誠実にそこにいる場所。平屋の家を改築して、カテゴリーごとに本棚にならぶえほん・年ごとの展示をたのしむことができる。十二畳ほどある畳の部屋にはちゃぶ台とつくえがぽつんといるだけ。古い家ならではの部屋と部屋をつなぐ長い廊下。本棚が並ぶ部屋の床にはホットカーペットが敷いてある。のんさんくらいの子にも、床はあたたかくただただ縦横無尽にはいはいしまくることができる寛大なところなのだ。置いてあるえほんは、つよい偏りはないようにみえる。あってほしいもある、出会いもある。けれど図書館というほどの量ではなく、量と質が適当だなと思う。
閉館まで一時間くらいの時間帯。娘さんが二十代の親子、四�人グループの三十代の女性たち、二才の女の子とお母さん、四才くらいの男の子とお母さん、二才くらいの男の子とお母さんが二組、そしてのんさんとわたし。はいはいをしているのはのんさんだけ、最年少だった。のんさんには線引きがない。気になるひとのあしもとでとまり見上げてみたり、走っていく男の子を追いかけてみたり、えほんをひろげてよんでいる親子のもとへ入っていったり。彼女のその線を引かない軽やかさがほんとうにすきだ。ほかのこたちは、たまたまみんなひと見知りというか照れ屋さんだったり驚いたりして、のんさんの急な訪問にバリアをはる子が多かった。ここは公の場だけれど線がサインペンほどの濃さで引かれたプライベートの中にいるというかんじがした。お母さんとの甘い時間を味わっている。それは成長段階によるものなのか、性格によるものなのか。
わたしもひと見知りと親にいわれて育った。このごろ思うのは、ひと見知りのようなもののおおきな要因は不安なのではないかということ。のんさんは、いまのまま安心してどこまでもずんずんゆくといいなと思う。
夜ごはんは、くるみ和え(小松菜、人参)、水炊き(椎茸、白菜、大根、麩、豆腐)、ごはん。

2016年11月27日日曜日

三四七

二〇一六年十一月二十七日日曜日
晴れのち曇りのち雨
いつのまにか二度寝をしていた。この土日は、のんさんが目覚めたころ起きているのにいつのまにか眠っていて、帽さんとのんさんが朝食をたべおえたころ受けとって授乳をしながらそのまままた眠る、をしていた。起きたころには、帽さんは仕事へ出発していた。このごろ(わたしのなかで)流行っている化粧をして、床掃除をして、おひるごはんの準備をして授乳。よきタイミングであのこは、やって来た。6Bあたりの先がまあるくなった鉛筆でほんわりと描いたような、いつもより輪郭がやわらかいあのこが玄関をひらくと歩いてきた。いつも、(ああ、いいなあ。)というものを身に纏っている。好みが似ているということもあるけれど、じぶんにぴたりと来るしっくりとともにきもちよくいられるものをひとつひとつよく選んでいるのがわかる。そして、それはとてもよく似合っている。だいすきな友人のひとり。
話しながら、じぶんのなかにいるうまいこと言葉にならない、通称(もももん)が形を現していく。
それがとてもささいなことだとしても、無下な行動にちくりとして、かなしくなったり、一瞬の笑みにふわあっとしあわせをかんじてその日のビールが格別においしかったり。それはめまぐるしくて、不器用で、誠実。ポップにユーモアをわすれずに、ぽんっと一石投じられたら。 その波紋をどこまで響かせられるかしら。
話したあとに、ひさびさにぼんやりを手書きでかくときもちよくするりと正直な言葉が出てくる。のんさんが起きて、とちゅうになってしまったけれど、ああきもちのよい時間だった。

夜ごはんは、ミートソーススパゲッティー、生のりごはん。
帽さんのつくるごはん、ああおいしい。ごはんをたべながら、スイッチのはいったわたしは(もももん)の前向きなたのしい解決策をどうしたらいいもんかと帽さんに投げかける。帽さんはきのうとしくんと話したことで思い出した根っこの話をしたり。それらは、すべてつながっていて、いつもどおりといえばいつもどおりの会話をした。眠くて文章がほわわわわ。

2016年11月26日土曜日

三四六

二〇一六年十一月二十六日土曜日
晴れ
風がつめたくて、日なたでも肩があがってしまう寒さ。北風小僧の寒太郎さんはついにここにいましょうというきもちになったみたい。
あたらしい日記を書く場に載せる自己紹介とタイトルをかんがえているこのごろ。さくっと、ぱっと決めたいところなのに、うむむ行ったり来たりすすまないな。キーワードをならべたり、ちいさく文を書いてみたり、していると、真心ブラザーズの突風が流れてくる。あのうたが、なによりも自己紹介だなと思う。時間がかかってもうまく言葉にしたいものです。
夜ごはんは、真鯛のお刺身、あん肝、おひたし、ツナサラダ、ピザ。
あいこちゃんたちといっしょにごはん。おいしいねおいしいねと大ヒットだったようだ、ワイン。

2016年11月25日金曜日

三四五

二〇一六年十一月二十五日金曜日
晴れ
今朝のこうえんは、まあなんて幻想的。どこのお山に来たのかしらと、脳内再生北の国から。恥ずかしくたって隠れられない面と向かって赤面反射しておはようたいようがまあるくいる。川や土からのぼる湯気もあいまって照らされたわたしたちはすべて神々しい。霜の纏う草っぱらと雪のつもる草っぱらがずっとずっと向こうまでつづいてゆく。大陸とうみのようでどんなボートで漕いでゆこうかと思う。出勤している男性も、まっしろでおおきな犬さんのさんぽをしているおじいさんも、ショッキングピンクのジャージのおばさまも、 (まぁぁぁぁ)と声をもらしてカシャと鳴らした。ジャージのおばさまは、うみの中へはいってゆく。二本、木のならぶ先頭に立ってぴんと指先まで伸ばしてストレッチしている。そこはえほんの舞台だった。靄の中の向こう金色たいようの水滴カーテンに包まれて、彼女は色をうしなってシルエットになってゆく。まるでティンカーベル。ちいさなちいさな妖精にみえてしまう。眠ったら忘れてしまいそうだから、眠いけれど布団の中で二度寝の前に綴っておこう。
夜ごはんは、しらすと野菜の炒めもの、ブロッコリーのつくだ煮、鰯のかばやき、ごはん。これらをワンプレートに。

2016年11月24日木曜日

三四四

二〇一六年十一月二十四日木曜日
雪しんしん
きょうは(布団のぬくぬくが)とってもあったかいなあ、なぜかしらと、思いながらしばらく包まり、洗濯物干してくれていったんだなあ、と眺める。雪って予報だったけど、、と思い出して、帽さんはスイスイと無事着いたかなあと交通機関のことを思う。カーテンをあけると庭の(おやま)に積雪。風にふかれてふわふわと雪がふっていた。あらら、しっかり降っている。のんさんを呼んで、網戸越しに雪降る庭をみた。その表情は、とくべつ変わることはなかったのだけれど、あたらしい事象にハテナがたくさんならんでいたかもしれないし、思わず口があいちゃうようなおどろきでいっぱいだったのかもしれない。なんでも表情にかいてあると思ったらおおまちがいだ。
東京・埼玉・神奈川と住んできたのは雪の稀なエリア。雪降る窓の向こうに、うきうきるんとする。きっとそれは家で過ごしているからだと床掃除をしながら思う。交通機関が気になって、帰れるかしらと気になって、雪が降ったらたいへんだとここ数年思うことが多かった。うきうきるんがうれしい。そう思えることがうれしい。
昼ごはんをたべ終えたころ、ちゃぽんちゃぽんと音がしている。雨に変わったかしらと玄関をひらく。さっきの調子でふわふわとまだまだのんびり降りてきていた。ちゃぽんちゃぽんの正体やいかに。
犬は庭かけまわり猫はこたつでまるくなる。こんな日は家でぬくぬくと思っていたけれどわたしの中にはほんのり犬もいるらしく、のんさんにはじめての雪をみせたくもなってダウンを着せる。ほんのすこしの公園さんぽ。
公園は数人のあしあとでランダムストライプ。まっしろけとはいかないけれど、一面雪で覆われていた。はじめて雪をみた日だーというのと、雪だ雪だーというので、けいたいでんわでカシャカシャ写真を撮る。いつもはすぐに手ではらう帽子をきょうはすんなりかぶったのんさんはじっと見つめていた。まっしろな地面、見上げたらいる傘、わたしのかお。(おはなししているようにみえます)とあさこさんは写真をみて言っていた。そうかもしれない。彼女は、おしりをつけたら濡れること、つめたいことをまだ知らない。このまっしろがなんなのかわからないけれど公園なのだからおりたいというようだった。ひとりでゆきだるまをつくって写真を撮る二十代前半男性とまっくろダウンの中年男性とわたしたちだけがゆき降る公園にいた。
家に帰ってきて、どこかにくっついてきた葉っぱがひらり。(はっぱ)とわたしが言うと、(ぱっぱっぱ)とのんさんが言う。ああ、いつもこうしてまねているんだな、思う。ここまで近づけられるようになってきているのだ。
夜ごはんは、ロールキャベツ半分、白いスープ(大蒜、椎茸、青梗菜、ブロッコリーの芯、さつまいも、じゃがいも、玉ねぎ、人参、手羽元)、鰯のかばやき丼。

2016年11月23日水曜日

三四三



二〇一六年十一月二十三日水曜日
曇り
帽さんのしたいことは、本棚の整理。わたしのしたいことは、柚子ジャムと柚子味噌と金柑黒糖煮をつくること。ということでおうちでのんびりと過ごす。のんさんは目覚めて、帽さんをぼうっとみつめて、ああ帽さんがいるとうれしそうにわたしに目で喋った。
るんるんのんさんは、お昼寝もせずにるんるん。柚子の皮、ふさ、果汁と種をわけて、皮やふさを刻む。地道で時間のかかる作業を途中でやめることなくつづけられることがうれしくなって、噛みしめるように大事にゆっくり刻んだ。ジャムや煮豆づくりって気が合うみたい。
夜ごはんは、大根と人参と手羽元の煮物、ロールキャベツ、ごはん。
たまきさんの引き出物でいただいたバームクーヘンをおいしくいただいた。はあ、おいしかった。

2016年11月22日火曜日

三四二

二〇一六年十一月二十二日火曜日
晴れ (とてもとてもあたたかい。)
お昼寝から起きたのんさんとおむすび持って公園へ。日向はぽかぽか。しらすと梅を和えて海苔で和えたおむすびをカゴから出し、見せると(それは!)ときもち目を見ひらいた。食いしんぼうばんざい。ちいさなちいさなのんさんおむすびをちいさなちいさなひと口で、ぱくりごくりぺろりと、三/四ほどたべた。

すこしはなれたところでバドミントンをはじめたカップル。くまさんのようなフォルムの男のひと。友人星野さんがふた回りほどおおきくなったような女のひと。ごはんをおいしそうにたべる姿、あわてて転ぶようすが浮かぶ。とても愛らしい。仮にくま夫と星野さんということにする。
カン
星野さん(あ゛ー、ごめん。)
星野さん(でも、たのしいね!)
くま夫(たのしいね!)
カン
くま夫(いま、俺本気出してるから。)
星野さん(え!なにそれすごい。オーバーサーブ?どうやるのどうやるの。)
くま夫(れんしゅうしていいよ。)
星野さん(あ゛あ゛。いまのはちがった。)
カン
くま夫(なるほど。風があるから。) 
星野さん(あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー)
*十mくらい離れていた気がするけれど、すぐ近くに。どんどん横へ移動している。
星野さん(あ、いくよーと言わないで打っちゃった。ごめん。)
くま夫(だいじょうぶ。ちゃんと見てたから。)
星野さん(あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー。ごめん。)
*くま夫さんダッシュして追いつかず
くま夫(いまのは、追いつけたね。ごめん。ごめん。)
星野さん(ダッシュしてくれたね。走ってくれてありがとう。)
おなかいっぱいむねいっぱい。もう愛燦々。背伸びした少年のような部分が表出しつつもやさしいくま夫と公園のそとまで(あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー)と声がだだ漏れするような飾り気のなさとやさしさしかない言葉がこぼれるするりん星野さん。愛たっぷりで、ツンがひとつも見当たらないするりん。きもちがよくて。ああ、またここでバトミントンをぜひとも。そのよこでまた聞かせてほしいなピュアバトミントン。

夜ごはんは、コールスロー、ロールキャベツ(生クリーム仕立て)、ごはん。

2016年11月21日月曜日

三四一

二〇一六年十一月二十一日月曜日


曇りのち雨

日記を書く場所を変えようかしらと考えている。
ここにしてみようかな、というところはあるのだけれどタイトルが浮かばなくてまだここに書き続けている。

あるひとに、わたしは二つなまえを持っていくということを最近言っていただいた。そのひとつになったらと思うなまえを考えてみたりもしている、時々。

今月号のpopeye。大竹伸朗さんの話されていること、いま読めてよかったなと思う。帽さんも、今朝読んで言葉が頭の中をぐるぐるしながら過ごしたと話していた。それは、このまえのラジオでヒロトさんマーシーさんが話されていて受けとったものととても近い。いま、わたしのアンテナ、帽さんのアンテナはそういったものを拾うようなチューニングになっているみたい。

夜ごはんは、手羽元と大根と人参の煮物、コールスロー(きゃべつ、帆立の缶詰、人参、レタス)、野菜炒め卵とじ、お鍋、ごはん。

よなよな日記を書いたりしながら、METAFIVEの出演したラジオを聞く。このひとたちの話している温度と湿度と深さがここちよい。

2016年11月20日日曜日

三四〇



二〇一六年十一月二十日日曜日
曇り
六時ころ授乳で目を覚ます。携帯でいくつかの言葉を眺めて、日記を書いている。
なぜだかどうしてだか、生きている日々の残り時間のことを思った。代用をなくして、好きとやりたいこととだいすきなひとでぎゅうぎゅうにしなくてはと。そっちへもっと向かうために選ばなくては、思わなくては、はじめなくては、と。
結婚式のためにひさびさに揃えた化粧品。赤い紅も背伸びして浮くということもなくなった。朱色のネイルも、きもちをルンとさせる。こういうところから生きるは充ち満ちる。放っておいて埃まみれなんて、パタパタはたきましょ。化粧にしても洋服にしても、わたしという素材の召ませ、どれほどなものか。まだ見ぬ幾重もの顔に出会いたい出会わなくてはと欲が出る。
あの雑誌を改めて、すみずみまで読み返し再生ボタンを押す。ネイルと口紅のある人生を、と。

帽さんの仕事場へ廃材を運ぶのに同行。のんさんは帽さんがふり返るたびににんまり顏でわたしのことをみる。

夜ごはんは、野菜炒め卵とじ(大蒜、生姜、きゃべつ、青梗菜、蕪、玉ねぎ、人参)、冷奴、お鍋のつづき、ごはん。

スーパーの帰り道に話したアイデアのこと、ぼんやりとした不安のことを話したり、のんさんの写真や動画を眺めてふふふと笑う夜。

2016年11月19日土曜日

三三九

二〇一六年十一月十九日土曜日
雨のち曇り
大学の先輩、たまきさんの結婚式。
新郎によるはじまりの挨拶。顔はたしかにたまきさんで、はてこんな声をしていたかしらと思う。物理的に距離が離れると疎遠になってしまうわたし。
日々のんさんと帽さんと笑うそれとはまた違う種類の、笑うをたくさんした。頬っぺたがいつもはゆかぬような高いところへハイペースに持ち上げられる。高速エレベーター。ゆみさん、おおしまさん、としひこさん、背中を追いつづけた、そこにそのひとたちがいるだけでもお。さいこーなのだ。ゆるゆるしゅるるとわたしもあにーもあいこちゃんも、きっとけいこちゃんひろこちゃんすすむくんも先輩といるときのあのときにいたわたしたちの顔になっていただろう。掬って掬って、零したものもひろうくらいにいる時間を満喫しようとそわそわしつづけた。落ちつきなく右を向いてひだりを向いた。こんな日に夜遊びできないなんて。
会のおしまい、マイク越しにもおおきく発声する真面目さとすこし舌ったらずな話し方を聞きながらああそうだそうだたまきさんだと思う。わたしの時間の中に、とまっていた彼というものが鮮やかに色づいて血が通い再生されたようだった。
あいこちゃんと帰宅。いつもとは違う格好をして、いつもの駅に降りる。タクシーを降りて、公園の匂いを嗅ぐ。土と草と木と、鼻がすこしツンとする。ああ、とわたしは帰って来た。帽さんとのんさんがそこにいて、ほのあかるいわが家。
夜ごはんは、お鍋のつづき (白菜の甘みがおいしくておいしくてサイコー)、青菜炒め、おかか和え、納豆、ごはん。

2016年11月18日金曜日

三三八

二〇一六年十一月十八日金曜日
晴れ
きょうの二度寝は深く長く、目を覚ましたらのんさんのさかさ顏が真上にあった。 (おーい、朝だよ。おーい。おーい。)そんな表情で布団に潜るわたしの顔を覗く。目が合うと、ふわあとにんまりがおになり目に口に手をのばす。口の中だっておかまいなし。のんさんに線引きはなく、衝動と好奇心と確かめたいというきもち。
きのう、電車の中で近くに立っていた二十代半ばの男性二人組の方を、ひきつり笑いをしてひょっこり覗いていた。のんさんもようすをうかがうのだなあ。
にっこりして、にっこりが返ってきたら手をのばす。のんさんのひとへの線引きは、いまこのくらいのよう。
きょうも、日が差しこんできたのであかるいうちにとおむすび握って公園へ行く。手があたたかい。眠たいようできのうほどは駆け回らずに帰って来る。サカサカ足元が鳴る。のんさんの視界に映る色彩が鮮やかで、道に向かって身体を乗り出し、手をのばす。眠気のことをようやく思い出して二十分後くらいしてようやく眠る。
近づいて見上げたり、すこし離れて眺めたり。だいすきなラクウショウさんは、おとといまで緑の葉でいたのに、すっかり茶の葉で全身を覆っていた。
緑をベースにぽつりぽつりと橙、黄、茶が混じり、ぼわんとしたふっくらシルエットの木々。洋服をつくるなら、まずはこんなワンピースがいい。道端をデザイナーにして、洋服をつくったらたのしそうだ。
四本ほどの木は束になって、おおきなおおきな焼きおにぎりの木にみえる。こんなことをのんさんとお喋りしたら、会話がえほんになりそうだ。

夜ごはんは、青菜炒め、おかか和え、豆乳ミルク鍋(椎茸、えのき茸、青梗菜、白菜、大根、玉ねぎ、ごぼう)、ごはん。
夕方からはつねつのんさん。すこしでも深く長く眠れますようにと祈る祈る。

2016年11月17日木曜日

三三七

二〇一六年十一月十八日木曜日


晴れ

晴れてとてもとてもあたたかい。
こんな日だからあたたかいうちに公園へーと、おむすび握って向かったのでした。
でんぐり返しを十回したって気づかれやしない、さらに十回したってまだまだ入り口が近い、のんさんの目にはどんな場所にみえるのかしら。写真に写したらどこかの惑星に舞い降りたようだった。おむすびをふたりでほおばった。のんさんはよくたべるたべる。のんさん用のちいさなおむすびを今度は用意した方がいいみたい。


(ヨイショ)。気のせいかなと思っていたけれど、きょうもまたきこえた(ヨイショ)。
わたしがいちばん言っていることばは、ヨイショなのだろうか。このままだとはじめて喋ることばがヨイショになってしまうしまう。母の記憶だと、わたしは(アカアカ)と(カブカブ)。帽さんは(アナ)というのがはじめて喋ったことばなのだそうだ。(ウンゲー)がはじめてことばといえば、そうなのだけれど。聞いたことばをまねて喋るひとつ目はなにになるのでしょう。(ヨイショ)になるのか、はてさて。


夜ごはんは、湯豆腐、おかか和え、アボカド、豆乳味噌煮、ぶりの照り焼き、ごはん。

2016年11月16日水曜日

三三六

二〇一六年十一月十六日水曜日


曇り

あったかそうなセーターを着ているよう。
ふかふかとして黄色から朱色へと段々と移りゆく、なんともすてきな色味のセーター。
寒くなってきたものね、なんて思うけれど、霜がおりて雪も降るようなそのときになにも纏わずいるのだ。こどもを寒さから逃すように、次の季節へ葉書を出す。 (そちらはどうですか。桜は咲いているのかな。) (この葉書が届いていますように。) (まったく寒くてやんなっちゃうよ。)きっと長くはない呟きのような便りが送られている。いちょうの木に手をのばすと、ほろっと枝から離れてのんさんに送られた。

そうして公園を散歩しててくてくのそのそたどり着いた目的地は定休日だった。うぴゅん。。


夜ごはんは、ぶりの照り焼き、温やっこ、青菜の炒めもの、とりひき肉のぺったんこ焼き、ごはん。

おそく、リズムができてしまっているのかしら。夜のんさんがなかなか眠らなくなって、うーむうーむ。

2016年11月15日火曜日

三三五

二〇一六年十一月十五日火曜日


曇りと晴れと

予防接種へのつっこみをあたまの片隅で恐れているわたしがきっといて、どの病院ならよいかしらと悩んだりぽんっと忘れたりのんさんが風邪をひいたりしているあいだに十一ヶ月を迎えようとしていて、あわててあわてて電話をかけた。
妊娠の気配がするころ、そして妊娠していますおめでとうとおしえてくれた病院が、とびらをどかっとひらいて迎えてくれた。

かわいいおばさま看護師さんは三名ほどの診察券を並べながらなんども順番を確かめている。のんさんの名前をほめてくれたりさらしの抱っこ紐に感心してくれたり、ほかの方にも気になることがあると声をかけるにんげんとにんげんのコミュニケーションをする方で、その存在にぴんっと伸ばしていた背筋がまあるく猫背にもどったと思う。待っているあいだ、ガラスのとびらはすこし外がくぐもってみえる。ここの雰囲気と相まって向かいにあるタクシーの帰ってくるおうちも映画でみた寅さんのいる時代のようにみえてくる。病院内にある観葉植物はピンとしているわけでもなくて、長年いる夫婦みたいにすこしくたっとしながらともにいる。そのかんじも、ふーっというきもちにさせてくれた。

呼ばれて、診察室へ入るとにこおっと笑い顔、白髪の先生がすわっている。ぜんぶオーケーよという表情。のんさんはじーっと顔をみている。
先生(機嫌がいいのかな。おとなしいね。)(いやあ、まったく泣かないもんな。)
のんさんはひとを信じている。ようすはうかがうけれどこころをひらいている。このまま、この調子でいてもらえたらいいな、と思う。

先生(なあんにももんだいありません。このままの育て方で育ててください。)
洋服を着せて、抱っこ紐をして、もう一度、(とっても良好だからいまの育て方でだいじょうぶ。このまま育ててください。)とゆっくり伝えてくれた。

はじめからここに来たらよかったんだな。検診をして、安心する言葉をゆっくり伝えてくれるところ。町医者に通っちゃうおばあちゃんはこういうきもちをもらいにゆくのだろうか。

よくがんばったとご褒美に駅前でおいしいお弁当を買って、お買いものをして帰宅。
ルン。

夜ごはんは、青菜炒め、にしんのお刺身、とりひき肉とごぼうのぺったんこ焼き、ごはん。

2016年11月14日月曜日

三三四

二〇一六年十一月十四日月曜日


曇り

捨てる神あれば、拾う神あり。そしてだいたいは拾う神が気の合う相手。ヨカッタヨカッタあぶなかったよ、ふう。


母と化粧品を、ふふふ。
どんないろかみるために、顔につけてもらう。

唇一周スティックがまわるだけで、旅に出ていた乙女ひょっこりそろりうふふと顔出して、あらまあこんなに化けるのか。(わたしと)離れていってしまうことをかんじて、ひとつめくってもひとつめくって・・・素っぴんとなったいま。けれども、その化け具合はわたしと離れず乙女を呼びもどすきもちのよい風を吹かせるものだった。
分厚い唇に紅をひくとぷっくり浮いてわらえてしまってそれもにがてな理由だったけれど、薄化粧に赤い紅をまたよきかな。
放棄せずに、ちょうどよいを探しながら紅をひく日々をふやしていこうかと思うのだった。

夜ごはんは、豆乳味噌煮込み、重ね煮のお味噌汁、うな重弁当。

2016年11月13日日曜日

三三三

二〇一六年十一月十三日日曜日


晴れ

うらはらはらはら。
マスク男子がたくさんいたけれどこれは流行りなのかしら。風邪気味なのかしら。すっぴんを隠したいのかしら。なんだろう。なんだろう。

弟といるあいだの母は、すこし後ろをてくてく歩いていた。
じゃあねとした後、母は眠たそうにしておなかがへったといっしょにうどんをたべた。
恋をしたかわいい女の子をみているような、儚さくよくよためいきまじりそんなものを母からかんじたのだった。

夜ごはんは、水炊き、チンジャオロース、ごはん。
本日も、お泊まりのため母ごはん。

2016年11月12日土曜日

三三二

二〇一六年十一月十二日土曜日


晴れ

きょうは、登山に行く帽さん。いっしょに行く光明さんが公園の入り口までお迎え。お下がりにえほんをおすそ分けしてくれるというので、お見送りと預かりにゆくのとで、ひさしぶりに外に出た。

帽 (これからうちゅうに行ってくるから。にんげんの世界とはしばらくはなれてくるよ。)
のん (う ・ っっちゅ !)
帽  (ははは。そうかそうだね。のんさんはずっとうちゅうにいるみたいだものね。まいにちにんげんになりたくないよーって泣いているかもしれないもんね。)


いってらっしゃいと言うと、のんさんはちいさくてのひらをさわさわ揺らした。帽さんを見つけるとうれしそうに駆け寄るこのごろ、来週の週末はゆっくりいっしょに過ごせるといいね。

たいようのひかりと風を浴び ずにはいられなくなって、えほんを置いてしゃぼん玉を持ってそのままお散歩。わたしが話す言葉に (うん)と頷いてくれるのんさん。喋る音がふえて、わたしの知っている言葉に時々きこえるようになってきた。

ひきこもっているあいだも、木々は休まず風に吹かれてそこにいて慎ましくちゃんと冬支度をしていた。にんげんでいうとこのロマンスグレー。いちょうはピッカーン眩しいきいろ。あたまが赤くおなかが緑の木。すっかり公園はイロトリドリな季節へと変わっていた。まいにち横にいるとなだらかに変化を感じるけれど、目をはなすとあっという間にみえる。それにしてもあったかい。高い鳥の声がサラウンドにちりばめられて、そよそよと風は吹いて、青空とたいようがおおきくハグしてる。ここは十分うちゅうだな。とポエジースイッチをおされてきもちよく筆がすすむ。

ドクドクドクと血がたぎっているような、エネルギーがはみ出ているようないちょうの木に思わずシャッターをきる。DNAの螺旋がむき出しになっているようにみえる。色っぽさすらかんじる。青空多めに枝の端っこをきりとる。そんな写真が幾つもある。ここにうちゅうをかんじちゃうんだなあ、わたしは。ああ、ホレボレ。


夜ごはんは、ステーキ(!)、アスパラガスのソテー、トマト、えびマカロニグラタン、松前漬け、ごはん。

母の家に来て、ごちそうごちそう。愛、ほかほか。
リモコン押しながらシャウト、のんさん。

2016年11月11日金曜日

三三一

二〇一六年十一月十一日金曜日




まだまだつづくのんたろうさんの風邪。
今朝はどしゃぶり。のんさんがおなかにいたきょねんより寒さがはやくやって来ているような気がする。そして、雨も多いような。

せめてもと、窓からしゃぼん玉をとばす。鼻をたらしながらも、にんまりと手をのばす。
風邪っぴきなかまのすーさんもすこしやって来ておやつの柿とふかし芋をもぐもぐと。

すーさんが帰って、ふっとのんさんをみる。しずかにお皿にのこった柿に手をのばしていた。するり、ぽたり、ぬるり、ぺとぺと、すべらせつかみそこねながらも、ひとり口にほおばっていた。おいしい?ときくとほほえむ。

夜ごはんは、おかか和え、かに焼売、お野菜の豆乳味噌煮込み (大蒜、生姜、椎茸、青梗菜、ブロッコリー、蕪、さつまいも、人参、ごぼう、鶏肉)、ごはん。

2016年11月10日木曜日

三三〇

二〇一六年十一月十日木曜日


曇り

いつもよりはやく起きたら、お味噌汁はつくれて朝食もひとりでたべられて、それによってふっくらしたこころでのんさんにおはようを言う。安心してにまあっとわらう。ひとりの時間に家事がすすむと、のんさんといるときにこころもしっかりのんさんに向く。すーさんはお手本。のんさんとあそぶとき、それだけをかんがえてめいいっぱいたのしむ。あっちにいって、次はこっちにいって、わらっているかたしかめて、また次のこと。なんて誠実で、なんてクリエイティブで、という書き方をするとちょっとちがうのだけれど、こどもはこどもとのあそびかたをおしえてくれるお手本。

灯油をいれてもらって、再配達のにもつを受け取って、集荷に来てもらい荷物を預ける。ただ家にいるだけといえばそうなのだけれど、ふーっよくやったというきもち。時間が決まっている予定がならぶとすーっとうすく緊張感が上を向いてもふりむいてもポリポリしていてもいる。そこからの解放はふーっとやりとげたきもちにさせる。

ストローデビューをしたのんさん。はじめはぶくぶくしたけれどすぐにちゅるるるる。いつものコップをはじめて飲みほした。これまでのみにくかったのね、そうかそうか。

きょうはすきまができるたびに、ほぼ日の鶴瓶さんと糸井さんとの対談を読んでいた。
https://www.1101.com/tsurube3/2011-01-01.html

夜ごはんは、青菜と人参のおかか和え、しょうが焼き(きゃべつたっぷり)、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

帽さんが帰って来て、帽さんのお手玉にげらげらわらって安心したのかな、すーっと眠る。
帽さん(おとなは見通しがもてるけれど、のんさんにはそれがわからないからどんなことが起きるか予想できなくてあわてたり不安が押し寄せたりするんだろうね。)

2016年11月9日水曜日

三二九

二〇一六年十一月九日水曜日


晴れ

ハナミズとタンがおるのかな、まだグズリンのんさん。
夕方、授乳をしているとすーさんの声が窓の向こうからきこえる。
びくっと、目をひらいたのんさん。(すーさん、、かな)のんさんこころの声。
すーさんのお下がりでいただいていた洋服の中で、のんさんにはちいさくなった洋服をあいこちゃんにお返ししようとまとめていたので、声をかける。
すーさんは、靴をぬぐーと言ってすこしあそんでゆくことに。
のんさんは、ぴっかーん。
すーさんも、ぎひひぐへへとわらいがお。
すーさんはのんさんになにか教えようとしてくれたり、(こっちだよー)と声をかけたり。のんさんはうれしそうについていく。テンポがずれていたりちぐはぐ、気がついたら各々に異なることをしつつ楽しげに過ごしたり、またかおを合わせてわらったり。ふたりだけの会話もしていた。
すーさんがやって来て、のんさんはまあるくなったなあ。

これできょうはすーっと眠れるんじゃないかな。そんな気がする。
ありがとう、すーさん。

夜ごはんは、キムチ豆乳味噌鍋 into きしめん、ごはん。

2016年11月8日火曜日

三二八

二〇一六年十一月八日火曜日


曇り

radikoのタイムフリーとってもとっても。
一週間何度も聞けたらもっともっと。

きのう聞いた伊集院光さん×ヒロトさん×マーシーさん。
(感動にしばられていたらいい)
(しんでもいいんだよ)
ことばのまわりに纏うことばにならないものたちをずしりとかんじる。
置いてきてしまったものがあるなあ。そっちにゆけるように、このことばを話していた声とともに持ってゆこうと。

クリーニング屋さんにおおきなガラガラ(キャリアケース)を連れて、毛布を取りにすこし外出。のんさんは目をまあるくして外の景色をみていた。寒くてもあったかくして外にいっしょに出るです、ね。そうしましょう。

夜ごはんは、キムチ豆乳味噌鍋、牛タン、ごはん。

きのうよりぐずりんのんさん。眠る前に帽さんと布団でころがってげらげらわらっていた。きっと、たぶん、それがよかった。安心したのだと思う。帽さんがお風呂にはいっているあいだに、すーっと眠った。

2016年11月7日月曜日

三二七

二〇一六年十一月七日月曜日


晴れ

朝、帽さんを見送ったとき、手をふったような仕草をみせた。はなれてゆくことに気がつくと、かなしそうな表情になりヒィィンと声を出した。
のんさんの熱は下がったみたい。まだハナミズ子さん。そとの寒さを家にいてもかんじるくらいだからおうちで過ごすことにする。

夜ごはんは、豆乳味噌鍋、ごはん。

いつもは九時ころには眠るのだけれど、帽さんが帰ってきてうれしいのかしら、十一時過ぎまで起きていた。寝かせようとしなかったら何時まで起きていたかしらというくらいに。
夜中の二時半ころ起きたのんさんはギャー、ビー、と過呼吸になっているような泣き方。帽さんも起きるほどの泣きっぷり。わたしでもわかるのだからのんさんには無意識にでもはっきりわかる。もれだすいらいら、抱き上げられるときの右手にぎゅっとこもるぴりり。きっとそれらが夜泣きやはなられなくなる原因のひとつ。許しておくれ、許してやっておくれとまあるく包む。口の中のきもちわるさ(口内炎かな)、こわいゆめもあるかもしれない。すりおろしたりんごを二口くらいたべてお茶をのんで、そっと落ちついたきもちになったのをかんじてから布団にころり。安心しておっぱいをのんで眠った。眠れてよかった、よかった。

2016年11月6日日曜日

三二六

二〇一六年十一月六日日曜日


晴れ(風がつよい)

きょうはばあちゃんのたんじょうびだ、と日記を書くとき改めて思い出して、ぼんやりと思う。痛みを和らげるために失われた意識。なにか伝えたかったんじゃないかなとか、なにか話せたらなにを話したんだろうとか、それが痛みで苦しいかおになったとしても、、なんて思ってしまう。いちばん愛したひとたちが悔いていなければそれでいいと思うけれど、いちばんびっくりしたのはばあちゃんなんじゃないかな。


きょうははらっぱ祭り二日目。パエリア屋さんで出店する日。きのうの夜から発熱ののんさん。鼻づまりや喉の痛みかな、三十分ごとに起きるような夜だった。朝になっても熱は下がらずだったのですこしお昼にのぞいて、お留守番。にこにこと機嫌よくしているときもあるけれど、あっという間にぐずって眠くなる。そして長くは眠れず起きてしまう。なんとなしにきのう買ったしゃぼん玉を窓から吹いてみる。芝生などでふくしゃぼん玉は、きらきらとその日の輝きを増すスパイスのようで、きもちのよい休日、野外ライブの終盤、富士山の頂上、そんなところでふいていた。
窓からふくしゃぼん玉。連なって風に舞う姿は、あこがれ。ここにとどまるわたしの分身。ユーミンのひこうき雲があたまで流れる。ー空にあこがれて 空をかけてゆくー

お風呂につかったからか、本に書いてあったように大根のおろし汁をのんさんの鼻につけたからか、のんさんの調子がいつもに近くなった。風呂上がりはずっと起きていて、いっしょにお鍋もたべた。まだほんのりあたたかかったけれど、なにかが楽になっていそう。この調子で風邪よ、とんでゆけ。

夜ごはんは、水炊き鍋、梅ごはん。

2016年11月5日土曜日

三二五

二〇一六年十一月五日土曜日


晴れ

はらっぱ祭りの仕込みをするの巻き。
お昼ごはんを祭りを味わいつつ、公園でたべる。どうしても毎度のケバブ。フリマでのんさんの冬服を数点購入。あったかそうなポンチョが百円だったり、スカートが十円だったり、麦わら帽子をもらったり。
公園で祭りが行なわれていようが、ひとがたくさんいようが、のんさんにはいつもの公園のようで、たったったっとどこまでもはいはいしてゆく。彼女にとっては土と草のあるところ。夕方、仕込みをしているとのんさんがぐずる。鼻がつまっているようで授乳できず抱っこで寝かせるのだけれど置いたら起きて大泣きをくりかえして一時間くらいかかったかな。

夜ごはんは、ケンタッキー、冷ややっこ、厚揚げ、レタスとツナのサラダ、たらことしらすのちらし寿司。

同じアパートのあのこの合格祝い。ああ、めでたやめでたや。小五だったあのこは、もうすぐ大学生。ひとまわりはなれた我らは三十路になり、こどもがいるのだもの。うひょ。

2016年11月4日金曜日

三二四

二〇一六年十一月四日金曜日


晴れ

新宿伊勢丹。
のんさんを妊娠してから、ときどき訪れるようになった場所。
いわゆるデパートのありがたみ、ステキな部分は、こどもがやって来てからの方が見つけられるようになった。

のんさんが生まれる前の五年くらいで、ゆっくり服装など変化していった。
そして、その流れも組みつつ、なにか別の流れが合流しはじめているような気がする。
どこかの記事でよんだ、(ナチュラルに反発してきた)という文字。
わたしは、いわゆるナチュラル・オーガニックを目指してきたわけではないのだけれど、気持ちよさ(つくられてきた流れ・生地・触り心地・身体とのバランスなど)を重視していたらそう捉えられるようなものが並ぶようになっていた。そういう意味ではとってもナチュラルになっていっている。こころに聞いていくと、あそびがほしいわ・型にきゅうくつにおさまるってもったいないなと思ってきたのだ。さらにナチュラルになっていくわたしのお家にこれからどんな洋服がならんでいくのかしら。乞うご期待。
そして、ずっと避けてきた黒、排除することをやめてみようと試みている。やわらかい黒を見つけてそろりと仲間入りしてみよう。

結婚式に着ていく一張羅を母に買っていただいた。恐縮しちゃう値段と、うきうきしちゃう可愛さと。大切に着ていくのだ。だ。


夜ごはんは、弁松のお煮染めと煮魚、カルボナーラ。

ときどき急にはじまる、あのひと研究室。このまえ急にはじまったのは、草間弥生さんとサカナクション山口一郎さん。なにかを抜けて、みらいへ種を蒔こうと生きいそいでいるくらいにアドレナリンを放出してやわらかく生産しているひと。

ああ、寝なきゃ。

2016年11月3日木曜日

三二三

二〇一六年十一月三日木曜日


晴れ

お父さんがやって来た。
お昼をたべて、すこし公園でのんさんのはらっぱハイハイをみんなで微笑ましく眺めて、サプライズバースディーのお祝い。うふふ。
帽さんの買ってきてくれたケーキにろうそくを灯して、あのバースディソングをうたいながらお父さんの前へ。膝の上にはのんさんが座っていた。のんさんは目をまあるくして見ていた。のんさんは父からのお土産、スイートポテトをすこしいただく。夢中になっておいしいという表情でたべる姿、口のまわりちゃぶ台のまわりが芋まみれになるその光景に笑う。シャイで照れてしまうお父さんは、のんさんのちからを借りてにじみ出るうれしいきもちを声に出して笑えたのだと思う。

誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。
そうやって、一年に一回だけでもじぶんをなでられたら。
いきいき生きるのだよと思いを込めて。

夜ごはんは、おでん、ハンバーグ、ポテトサラダ、野菜炒め、ごはん。
ストーブの登場。帽さんが柵もつけてくれた。キッチンとリビングのふすまを外し、キッチンのテーブルとストーブがまんなかに並ぶ。向かい合って座り、帽さんの仕事の話などなどもももっと話した。帽さんのよきスイッチが押されたみたい。いけいけどどどどー。

2016年11月2日水曜日

三二二

二〇一六年十一月二日水曜日


曇り

吉祥寺へ。父の誕生日プレゼント探し。
これかなーというものは、ぼんやりと連れていた。あれこれを見て候補を膨らませたらいいのに、ほぼはじめからそれがある店に向かう。やっぱりこれはいいな、よーく吟味してひとつ選ぶ。おめがねにかなうのか。

それから百年にて、これもぼんやりと思い浮かべていた本をみつけてそっとそえる。お店に流れる音楽。なんだ?なんだ?ときもちがそちらによそ見する。展開していくにつれて、意識はそちら、?から(いい!)に変わっていく。レジで店員さんにきいてみると、ASA-CHANG&巡礼のまほうというアルバムだそう。こういう出会い方、ひさしぶり。ときめき。ああ、うれしい。


夜ごはんは、沖縄料理屋さんにて。
ジーマミー豆腐、ゴーヤチャンプルー、餃子、しらすの炒飯、ソーミンチャンプルー、紅芋コロッケ、ガーリックポークスタミナ、マカロニグラタン、紅芋アイス。

お昼前、なんだか沖縄料理が思い浮かんでしまって、ああこりゃたべたいなと。帽さんを誘い、あいこちゃんたちまで誘って、とくべつ外食夜ごはんとなった。
ほんとうにどれをたべてもおいしいおいしい。ロフトの上はお座敷になっていてほぼ貸し切り状態だったので、のんさんもすーさんもリラックスしてのびのび。こんな夜もあってもいいじゃないのよきごはん。

2016年11月1日火曜日

三二一

二〇一六年十一月一日火曜日


雨のち晴れ

お昼ごはんの後、公園へお散歩。きょうは寒いのでコートを着て、のんさんもコートの中に包んだ。あたまだけひょこっと出ているスタイル。ボタンもとめると、のんさんが眠るときちょうど首の部分を支えられてお互いに心地よい。後半のんさんが眠ったからよていよりもとおくまで歩いた。のんさんのすやすや具合も、歩いているときのきもちも、なんだかよかったな。こういうのなまえのない感じ、なんだろうな。うまくいえないな。
きょうは三時ころからお散歩しはじめたけれど、すぐにまっくらになるから二時くらいには出発するようにリズムをつくれるようにしたいもの。

母より旅行のお土産が届き、あいこちゃんたちの分もあったので夜渡しにゆく。すーさんも出てきてくれた。のんさんと頬をすりすりして、喜びの舞いを踊るすーさん。夜道で、ふんばるみたいにしゃがんで二回くらい屈伸して、たたたと歩いてまた同じうごきをする。いい踊りだったな。のんさんも抱っこひもをしつつもピョンピョンとんで、、うれしそうだった。すーさんが石と葉っぱをならべて、ハッピーバースデーをうたうとのんさんも声を出してうたうのだった。葉っぱや石にハッピーバースデーをうたうすーさんはさいこう。うれしそうにピョンピョンしてうたうようなのんさんもさいこう。

夜ごはんは、野菜炒め(大蒜、椎茸、小松菜、大根の葉、ブロッコリー、玉ねぎ、長葱、ぶたひき肉)、おでん、ごはん。