2016年6月30日木曜日

197 デザインと手ざわり

2016年6月30日木曜日


きょうは、母乳もすんなりとよくのんで、機嫌のよい日だった。それでだいたいわたしもよい日だ。腕を伸ばして、おなかをあげる仕草がみられるようになってきた。ハイハイに向かいはじめているけはい。

わたしの手のひらは、のんさんの肩の端っこから肘をすっぽり覆うくらいのおおきさをしている。のんさんの腕に手をかさねながら、わたしの手はちいさいなーと思った。比較としてはおおきいのに、ちいさいなーって。なんでだろう。

夜ごはんは、とりじゃが、いんげんのおかか和え、タコスサラダ、胡桃和え、ラタトゥウユ、南瓜のサラダ、ごはん。

鳩サブレの話をしていたら、ふたりで鳩サブレをたべたくなってホームページをのぞいた。webもいいデザインなのかしらと。
それにしても鳩サブレたべたい。

2016年6月29日水曜日

196 カルダモンと雨

2016年6月29日水曜日


チャイがのみたい。チャイがのみたい。チャイがのみたい。3回唱えたら、ぱっと現れてくれたりしないものだろうか。

きのうは、3人とも長袖で眠るほどひんやりした夜はだった。いまは、ひんやりの余韻にむしむしをかき混ぜたみたいなお天気。あたまの中であの味を思い出す。

雨の風景がすぐにかさなってみえるような曇り空なのと、掃除をしなくちゃと思って、家にいたけれど、のんさんがなかなか寝つけないので散歩をしている。のんさんにひつようは、わたしにひつようでもあるようで、すこしすっきりしてきた。

治癒
アニミズム
修繕、再生
自然と芸術
あの青い空
スケッチ、表出

浮かびあがってきていることのメモ。


夜ごはんは、南瓜のサラダ、蒸かしたじゃがいも、くるみ和え、アボカド、タコスライス。

2016年6月28日火曜日

195 治癒とソクラテス

2016年6月28日火曜日



雨にぬれた後の公園は、緑が濃ゆくて、ひとつひとつの輪郭がくっきりするようだ。柔らかく若い緑色にときどき吸い込まれそうになる。
同じ景色の中を毎日のように歩いているのに飽きない。わたしも、天気も、植物も、めぐっている。


夜ごはんは、焼き鮭と大根おろしたっぷり、ラタトゥウユ、アボカド、茹でたじゃがいも、ごはん。


どういうわけだか、ヨーガンレールさんと岡村靖幸さんのことが気になっていてインタビューを聞いたり読んだり、本をさがしたりしている。そうして、ふっとよんでいなかった本のことを思い出す。ミヒャエルエンデさんとヨーゼフボイスさんの対話の本。手にとったときにいい本だと思って買って、きのう手にとってまたいい本だと思った。よんでもいないのに。芸術と政治。本質の話は、時をこえる。

ソクラテスやプラトンが会話に出てくる夜ごはんだったのだけれど、びっくりなのはプラトンはあだ名だってこと。デコッパチという意味だって。

2016年6月27日月曜日

194 木かげのまる見えデート

2016年6月27日月曜日


明け方4時半くらいかな、授乳とおむつ替えをするとぶりぶりと音がする。ふとんにまで侵入のうんちくん。うとうとをふりはらって、朝も早よから洗面所で手洗い祭り。おかげで玄米ごはんの炊けるいい匂いの朝になって、こんしゅう唯一かもしれない晴れの日だったのもあって、親孝行だなと思った。

夜ごはんは、ひき肉炒めとレタス、ゴーヤチャンプルー、茹でたとうもろこし、とろろごはん。

2016年6月26日日曜日

193 床下に汗

2016年6月26日日曜日


きもちよく目を覚ました。洗濯を回したついでに、風呂場をのぞいたら(朝風呂)と浮かんで、まだ7時前だったけれど起きた。

ぼんやりしながら詩集に文字を書いていたので ここに記す。

きょうはだれかの
誕生日だっけね。
だれかってほんとうは
知っているの。知っている。
朝風呂にはいるなんて
ひとり暮らしみたいだな。
目が覚めて
ひとりでしずかに
はいろうとしたら
みんな起きた。
あはは。

・・・

わたし、本との距離
ちかすぎるね。もっと
はなしてよもう。

・・・

しるしをのこしたら旅に出よう
どこをめくったっていいのに
キチョウ面
すきでやっているのならいい
けどさ
字がちいさいな きゅうくつに
しているんでしょう。きっと
あのひとののびやかな
はねとめはらいをたべたい
もぐもぐぐぐぐ
ぐー

・・・

ていねいな本を
たべています。

・・・

午前中は、帽さんはテレビ壁掛け作戦。わたしはガスのタイル洗いと床掃除。のんさんは前半眠り、後半も付き合ってくれた。ひとつきもちよくなり、次をみつめる。どこまでもおわらないリフォーム 隊である。

30才が6人と1才と0才でかんぱい。梅干しをつけた。
家ではないところで本をよみたいから、でんしゃに揺られたいから、ちょっと行ってくるのアテのひとつに、またあそびに来てもらえたらうれしいなと思う。


夜ごはんは、ひとみんのキュウリと人参の塩もみ、キュウリ味噌、塩麹炒め、重ね煮のお味噌汁、ごはん。


のんさんはひさびさお風呂上がりからずっとふかく眠っている。
床下を調えた。梅に重しをのせた。麦味噌のかびをとって、豆味噌は無事をみつめた。気になっていたことを片づけたからよく眠れそうだ。

2016年6月25日土曜日

192 かかとの行方

2016年6月25日土曜日


夜ごはんは、レタスサラダ、ピーマンの生姜炒め、塩麹炒め、しろいスープのロールキャベツ、ごはん。

朝に巻く手前まで仕込んだロールキャベツ。整体から帰ってくるとほわわんとしてくるくるあたまがはたらかなくて、腹はへったがゆっくりつくる。
これに関しては、生クリームだったなー 豆乳ではコクがたりないのだった。

帽さんがいると、のんさんはよくわらう。のんさんがげらげらわらうと、おーるおっけーだ。

2016年6月24日金曜日

191 梅雨に雨が降っているね

2016年6月24日金曜日


頭ではカルアミルクが流れている。流れているというか、うたっている。そんなに聞いていたのかなと思うくらいに詞が身体から出てくる。
やさしいうただなーと思う。しずかな波音がなだめてくれるみたいだ。


いつもよりも早い時間の散歩をして、スーパーで炭酸水とコロッケをひとつ買って帰る。買ったものを出していたら雨音が聞こえた。ぎりぎりセーフ。雨雲が待っていたかのような。ありがとう。

高山なおみさんレシピのコロッケの卵とじは、しみるうまさだった。100円でパラダイス。


夜ごはんは、ピーマンの生姜炒め、冷ややっこ、米粉パンピザ、レタスサラダ、塩うにの豆乳スパゲッティー。


またあなのあいた靴下。こんどは、指の付け根のすこし下あたり。寝静まってから縫う。縫いながら気になるあのひとを追いかける。わからないは、知りたいに変わるときがある。それは不意打ちに。傾向も対策もございません。ぐっと息をとめて、海女さんが潜るみたいに泳ぐのだ。


座っていたのんさんがぱたりと倒れて後頭部を打ってたくさん泣いた夕方。泣きつかれて眠り、起きてにこにこしていたときの安堵感たるや。
玉ねぎとともに、切った中指がじんじんしている。

190 そいやっさ

2016年6月23日木曜日


きょうも、午前中はざーざー雨が降り、3じにはぴっかり晴れた。日が出たらすぐに洗濯物とのんさんのふとんを干した。

夏の午後、じりじりがぼやけたころの陽射しは、身体を軽やかにしてなんだかそとに出たくなる。すこしぐずっていたのんさんを連れて散歩に出た。緑と、たいようと、土と、公園はもうなつやすみしてるみたいだった。

きのうが夏至。もう日はみじかくなっていく。ずっと8月がいちばん日がながいと思っていた。あかるい夕方も、西瓜のおいしい時期も、夏の手前だと知ったのはいつだったのだろう。

電車通勤をした帽さんを駅まで迎えに行き、あかるい夕方を歩いた。夏はこんなふうに夜のてまえを味わいたい。いろんなしんぱいごとがうすまって、きもちがひろびろしている。

夜ごはんは、塩麹炒め(大根の葉、大根、椎茸、玉ねぎ、人参、ぶた肉)、冷ややっこ、ピーマンの生姜炒め、重ね煮のお味噌汁、玄米ごはん。

無水鍋で玄米をはじめて炊いた。ぱさぱさせず、ふっくらおいしく帽さんもたべた。
石垣島のスナックパインをたべたらくちびるがじんじんしている。

2016年6月22日水曜日

189 うつ伏せとともにハロー

2016年6月22日水曜日


きのうもだったけれど、おやつのじかんのすこし前に雨がやむ。おてんきに左右されるわたしは、空があかるくなるだけでとおくまでゆきたくなったりする。


夜ごはんは、冷やっこと温やっこ、ピーマンのおかか和え、アジアン鶏照り丼。

このごろ、また冷えとり靴下にあながあくようになっている。かかとにあく。腎臓、膀胱、生殖器関係の毒だそうだ。
あて布をしたときに、すぐに破れてしまったこともあり、縫うことをためらって、あなのあいた靴下がたまっている。ついに在庫もなくなったのでしょうがないなと、寝静まってからあなを縫った。没頭できて、できあがると愛らしくて、まだまだ縫いたいきもちになる。創造というより再生なんだなーと思った。

188 おーるおっけー

2016年6月21日火曜日


むしむししていて、あたまに汗びっしょりののんさんは愚図りやすくなっている。そして、わたしをみつけると向かおうとするし、手を置いてはなさない。すべてを承認してもらっているなーと思う。わたしでいるだけでオーケーなのだ。そんな愛をもらっている。あげるばっかりだと思っていた。母になるまでわからなかったこと。

夕方、すーさんとあいこちゃんとお散歩をした。のんさんはすーさんのように身体を動かせていると思っているようだった。すーさんが走ると、手足をばたばたさせてたのしそうにわらう。すーさんがしてくれるいないいないばあはとびきりだったみたくて、げらげらわらった。ワライダケでもたべたんじゃないかというくらいに、そのあとなにを言ってもわらっていた。すーさんといっしょに遊べてたのしかったんだなー。みんなげらげらわらった。


夜ごはんは、ポテトサラダ、鯵のお刺身、味噌炒め煮、ひき肉レタス巻き、しょうがのお漬物、ごはん。

帽さんが月がおおきくてきれいだよとおしえてくれたので、帰って来てから3人で公園に眺めに行った。
のんさんははじめてまあるい月を見た。とおくてとおくて認識できたかわからないけれど。
のんさんがおなかにいるときは、満月の頃、のんさんのことを伝えていた。見守ってもらっているような気がしていて。のんさんが生まれてからひさしぶりのまあるい月にぶつぶつと報告をした。見守っていてください。

このごろ眠っていてもころころころがるのんさん。眠りながら、ひだり側へのうつ伏せに成功していた。

2016年6月20日月曜日

187 乙女フルドウイン

2016年6月20日月曜日


きのうは、だいすきなかぞくのおうちへ3人でおじゃました。作品の展示販売会も、3年生になったKくんをはじめとするみなさんと会って話せることも、わくわくするあのくうかんも、ぜんぶたのしみだった。
「出産してからか、その前からか、6月のこの日をたのしみにしてきたのだけれど、もうきょうなのだねー」と話すと「小学生にとってのなつやすみみたいだね。」と帽さんはわらっていた。

話したいことも、過ごしたい時間も、まったく足りなくて、それもまたなつやすみみたいだった。

帽さんは1枚の革からつくられているそれはそれは素敵な靴を職場で履く仲間として選んだ。わたしは、足が選んだ靴を買った。あまりにすっとなじんで、これと決めてしまった。いろいろ履いたらよかったのに、身体があたまに有無を言わせなかった。
30歳のお祝いとして、じぶんに買った靴。これからを歩く靴。選んだ瞬間は潔く、けれどもきょうはこれでよかったかしらとふりかえる。眺めてはわたしというかんじがして、これだったのだろうなーと思ったり。そんなすべてを含めて、いまのわたしだな。もう身体はわかっていることを歩きながらあたまは理解するのだろう。


夜ごはんは、ひき肉レタス巻き、茄子の味噌炒め煮(ズッキーニ、玉ねぎ、厚揚げ)、ニラ焼きそば。

のんさんはよく見ている。スプーンをじぶんで持ち、口にいれるができるようになっている。スプーンにたべものがないと、皿に手をのばす。日々、うなるほどの成長がつづくなー。
ひとを認識しはじめて、うっすら後追いの兆し。

2016年6月19日日曜日

186 とどまらないたまり場

2016年6月19日日曜日


夜ごはんは、アボカド、大根と手羽元の煮物、厚揚げ、ポテトサラダ、胡麻和え、スープカレー(母がお取り寄せしたもの)、ごはん。

30歳を迎えるわたしたち、それぞれがじぶんへとこれから歩く靴を買いました。のんさんは、愛されたおむつカバーとおもちゃをゆずりうけた。

2016年6月18日土曜日

185 虹とばなな

2016年6月18日土曜日


きのうの夜は、ぷんすかしていた。そんなけはいをわたしはかんじていなかったのだけれど、ぷんすかの種に水はしずかに注がれいて芽が出たのだった。
ちいさなちいさなことで、ぷんすかは飛びだした。飛びだしてすこししたら、目が覚めたようなきもちになってぷんすかを見つめた。ハリキリがぷんすかに変わるのなら休もう、ときょうはゆっくり起きた。

帽さんと話しながら歩くと、きのう見つけたたのしいをお喋りしながら思い出す。ああ、わたしこんなにいろいろみつけていたじゃんね。

大学生になったばかりか、高校生か、お洒落の羽が生えはじめたような青年2人がスケボーを持って公園に向かっていた。
Aくん「やべー。ちょうやべー。空ひろー。」
Bくん「やべーっしょ?まじやばいんだよ。」
Aくん「やばー。すげー。」
Bくん「ちょういいかんじなんだよー。あっちかな。」
多少言葉がちがうと思うけれど、こんなふうに話していた。原宿なんかが似合いそうな、でもまだ緊張しそうな、お洒落をした青年たちが公園に着き、目をきらきら(きっと)させて、公園にカンゲキしている。それが、素敵でかわいくてうれしいきもちになったのだった。

それから、もうひとつ。八百屋さんからの帰り道だったか。小学5年生くらいのおとこのこ2人が色の話をしていた。
Aくん「フェラーリじゃないとしたら、何?」
Bくんは、とっても自信を持ってその異なるなにかを即答していたのだけれど忘れてしまった。
Aくん「ああ、ワインみたいな。」
ことばで色を伝えて、さがしていた。2人が知っているそれぞれをすべてならべて。思い描くそれは異なるかもしれないけれど。

そんなすてきなことたちをすっかり忘れていた。思い出せてよかった。


のんさんへの贈りものをと、虹の積み木を買いに行った。音、いろ、かたち、とってもすてきなおもちゃ。まずはたくさん舐めてください。
おそいお昼にアムリタ食堂。離乳食としておいてあるばななを頼み、はじめましてばなな。スプーンを離すと泣くほどによくたべた。ばななの威力を知ったのであった。


夜ごはんは、南瓜の塩蒸し、胡麻和え、大根と手羽元の煮物、ポテトサラダ、冷や汁。
帽さんはお祝いの会に行ったので、のんさんを寝かせてからひとりごはん。2日目の煮物は、よくしみていてうまーっと呟いてしまった。

2016年6月17日金曜日

184 ぬるいビールはおしまい

2016年6月17日金曜日


夜ごはんは、ポテトサラダ(じゃがいも、たまご、ディル)、大根と手羽元の煮物、胡麻和え、南瓜の塩蒸し、しらすとたらこのお寿司。

ディルの薫りってよいな。山梨から隔週で届くやさいは味が濃ゆくておいしい。じゃがいもは素朴な甘みがあるし、大根はぎゅっとみずみずしい。そういえば、洗ったり切っているときからちがう。ざくっと切る音、じゅわっと滲む大根のうるおい、たわしでこするまでもないじゃがいもの皮。じゃがいもは、麻なんかのシャツを、羽織っている夏の日みたい。水にぷかぷか浮かび、きもちよさそうだった。

2016年6月16日木曜日

183 雨のオーケストラ

2016年6月16日木曜日


祝6カ月。
ざーっと降ったり、曇ったり。

身体にだるさの塊がまだいるようで午前中のお昼寝をともにする。きょうは、お掃除もお休みだ。

雨がやんでいる間につるさんのところへ。甘ったるさを身体から流したいようなきもちで手にとるのは、夏やさいばかりだった。

のんさんはひとりでたくさん遊べるようになっている。顔を覗かせるだけでこんなにわらってくれるなんて。サイコウである。

星野源さんのラジオを聞いたら、はじめのいくつかの音でこころおどる曲が流れた。調べて聞いている。いい温度、密度。

Spike Jones and his City Slickers


夜ごはんは、あじのお刺身、ほっけ、胡麻和え(しめじ、ほうれん草、人参)、冷や汁。
はじめて、あの魚屋さんでお刺身を買ったのだけれど、とってもおいしい。ごはんがすすんで、ふたりともおかわりをした。
のんさんは、お味噌汁になる前の汁と豆腐をつぶしたものを口にした。


ごはんを作っていたら、身体がすっきりとしてくる。きのうは、床を拭いていたらすこし楽になった。身体をつかう、なにかをつくっているが、わたしにはいいのだな。

きょうの寝静まってからは、UAさんのインタビュー記事。この方が声のひとだからか、言葉遣いを修正されているのか、話している声で聞こえない記事だった。
…………
手の仕事は得意じゃないけれど、「うまくやらなきゃ」じゃなくて「やることに意味がある」ということを、下手くそなりに親の姿を見せることで子どもたち伝えられる。
…………

記事
http://www.asahi.com/sp/and_w/interest/SDI2016053079151.html

2016年6月15日水曜日

182 ひりひりは甘さのせい

2016年6月15日水曜日


録画していたThe Coversを観た。UAさんの喋り方、伝え方はなんともきもちがよくて、安心する。ぐっと抑えているなにかをとっぱらって軽やかにはねたくなるようなきもちにも、家の中でしずかな雨音を聞くあかるい雨の日のようなきもちにもなる。どうしてそんなきもちになるのか、よくわからなくてインタビューなどをさがして聞く。くりかえし。

あっけらかんと、軽やかになるのには、まだまだ足りないなーと曇り空は、甘さのせいかしら。のんさんを見つめて、とり戻す。彼女はなにも持たずなんでも持っている。


月曜日、高山ふとんシネマをよみ終わった。ことばになっていないなにかがあたまのななめ上あたりにぼわんと浮かんでいて、それをそのままにしている。
高山さんのこのごろの日記をよんだ。ふんぎりがついているというか、こちらへ行くと決めたのかな、とかんじた。
とまったことばをメモしておく。心あたりがある。
…………
放っておくと私は、感覚的な方に、どんどんもぐってしまう。
でも、それだけでは生きられないと、身体のどこかで分かっている。
…………


夜ごはんは、南瓜の塩蒸し、ほっけ、冷やしとまと、五目煮(母にずっと前にもらったレトルト)、炊き込みごはん。

のんさんはとまとと南瓜をたべた。とまとをたべると口のまわりが赤くなる。

授乳後つられて眠った。目を覚ましてから番茶を温め直してポットへいれたり、大根を新聞紙で巻いて冷蔵庫へいれたり、歯を磨く。新聞紙の中からアイヌにまつわる記事をみつけたので、じっくりよんだ。手帖に気になる展示の日時をメモして、気になったことばを書き留めて、こうして日記を書いた真夜中。蚊がブンブン飛んでいる。

2016年6月14日火曜日

181 カステラ

2016年6月14日火曜日


帰って来たころには、日差しは夕方いろしていた。たっぷり昼寝をしてお喋りもたくさんしてのんさんは上機嫌。

いまのうちにあれをしようこれをしようということも考えず波に身をゆだねて過ごしたきのうときょう。
あたまがぽやぽやしていて日記のことばも出てこない。

夜ごはんは、ロールキャベツ、焼きちくわ、豚汁、炊き込みごはん。
ほとんど母がタッパーにつめてくれたものを温めてもらったごはん。

2016年6月13日月曜日

180 箸置き

2016年6月13日月曜日

夜ごはんは、母ごはん。
ジンギスカン、とまと、きんぴらごぼう、ロールキャベツ、豚汁、ごはん。

献立が母を表している。思いが表れている。おいしかったです。ごちそうさま。

おかわりのとき、「すこし」と伝えてもたっぷり盛るところも、母ゆずりなのだな。

のんさんは、はじめましてとまと。つめたさか酸味かに対して、くしゃっとびくっとした。母たちがどっとわらい、その声におどろいたのかのんさんはほんのすこし泣く。
くりかえし思い出したくなるような夜ごはんのひと場面。

「もうどれだけ生きられるかわからないからやりたいことやっておきたいんだ。」
なにかになるのではなくて、やっていくことがわたしになまえをつけるのだな、と。がむしゃらに生きている母。行きたいところへ行って、やりたいことをやって、のみたいだけのんで、いい顔していてほしいものです。

2016年6月12日日曜日

179 パジャマのぽけっと

2016年6月12日日曜日


ぽけっとのついているパジャマを着ると、そうなっている。両方だったり片方だったり、ぽけっとが出ている。ときどき、外出着でもやってしまい駅でおじさんに声をかけてもらうこともある。いつからなんだろう。出ていることをそのままにするようになるきっかけなんて、あったのかしら。母の家の黒いおおきな冷蔵庫にうつるぽけっとが出ているわたしを見て、ふっとそんなことを思った。

きょうののんさんは、日々過ごしている場所にいるときはいつものにこにこだったけれど、待ち合わせした母にあってからよく泣いた。こんなに泣き叫んでいるのは、ひさしぶり。場所みしり、ひとみしり、眠さ、どれかなのかどれもなのか。
生まれて2週間後くらいに母の家にいたときは、にこにことお風呂に入っていたけれどきょうはぜんぶの力を注いで泣き叫んだ。
せかいを分けはじめた。身分け、見分け。
わたしをさがし、見つけると、いっしょうけんめい見つめた。のんさんはわたしを混沌の中から分けているんだな。
「はな」と指さしていたすーさんがたんぽぽだけ「あぽぽー(たんぽぽ)」と言い、「はな」とは言わなかったな。

夜ごはんは、母のごはん。
きんぴら、蕗とさつまあげの煮物、時知らず、わかめと豆腐のおみそしる、ごはん。


近ごろちいさなありさんがやって来たり、日当たりがわるかったり、こじんまりしていたり、だけれどあの家にはあるがいっぱいだなーと母の家のふとんにて思う。あくまでわたしにとってのあるだ。わたしと、わたしのかぞくの暮らし、営みをつくれているのだな。

2016年6月11日土曜日

178 あおいオオカミ

2016年6月11日土曜日


ookamigoccoさんの展示へ。のんさんははじめての目白。わたしもはじめてのポポタム。

いくこさんが居たからか、のんさんはのびのびとしていた。ひとりでじぶんのかんじているものをじっくりつかむことはむずかしいのだけれど、のんさんとみるせかいはどれもおもしろい。身体ごとダイブしていて、作品であるいきものもわたしたちも、ものであり、かたちがあり、手ざわりがあり、匂いがあるいきものだ、おなじという様子でいる彼女をみているとのびのびしたきもちになる。ちいさな柵をにんまり飛びこえる。そんなつもりもなしに。

あの、Kという存在のとなりでごろんとしたくなった。展示というくうかんでなくても、どこかの家にあれ?そいえば居たかという具合でいるような気がする。
思いをぐるぐるして、これまでの布たちをみつめて、そのぐるぐると丁寧さをわたしはかんじて、作家としての彼女、彼女のつくるもののファンになった。あらためて。
いくつもの布を含めた作者とともに歩んできたものが在るものとなっていた。どうぞ、いくこさんを包んでおくんなまし。

それから思い出したのは、みえなくなった空のあおいろのこと。おおーい、げんきでやっているかーい。


夜ごはんは、煮込みうどんすこし、冷ややっこ、鰻丼。

帽さんにパワーをと、うなぎ。しっかり蒸して、さいごまで手を抜かず召し上がれ、だったな。あちゃー。


みんなが寝静まってから、食器洗い、瓶洗い。消毒してからしそジュースを瓶へ移したり、重曹とクエン酸を瓶へ移したり。ポットを洗い、番茶を沸かす。流しを洗い、生ごみを冷凍庫へ。
ふーっ、よくやった。

2016年6月10日金曜日

177 N

2016年6月10日金曜日


きょうはいくこさんが来てくれる。お天気も手伝って、あそこもここもと掃除がはかどる。のんさんはお昼寝という応援。重曹とクエン酸、熱湯を注いで排水溝の匂いとりまでやってみた。床を磨くときもちもへやもすっきりしてくる。そんな勢いでもくもく思いついたメモを。
・バスマットかけをつくる
・プラスチックごみ箱を変える
・重曹とクエン酸を瓶にいれて、よく使うお掃除グッズを窓際に みえる収納
・いちにちの終わりに流しを洗い、生ごみを新聞紙にくるんで冷蔵庫へ。ひとつの生ごみ袋を冷蔵庫にいれておく(高山ふとんシネマに書いてあった)

・おおきなブローチを買おう(ようふくのアクセントに、さいきんあったらいいなと思うようになった)
・手ぬぐいすてきなものに出会ったら購入 (よだれかけにもなるし、手ふきタオルにしているのでたくさんあってもよいなーと。)


のんさんと駅までいくこさんを迎えに行った。いくこさんは、持っているものひとつひとつ、ことばも仕草も贈り方もすべていくこさんだなーと思う。そらさずまっすぐ。
のんさんはいくこさんになにかかんじているみたいだった。とびきりのにこにこと、じぶんから手を出してゆびを握っていた。なにかを懸命に伝えているね、と話していたけれど、ほんとうにあれはなにかを必死に話していたのだろうな。


夜ごはんは、煮込みうどん(大根、玉ねぎ、茄子、葱、生姜、とり肉)、おばあちゃんの味の炒め煮ミニどんぶり。

帽さんは、体調がよくないとお風呂上がりにそのままばたんと眠ったので、ひとりでたべる。

2016年6月9日木曜日

176 どもるどだっく

2016年6月9日木曜日


するするとよみすすめてしまう高山ふとんシネマ。終わらせたくないなーというきもちで、でもまたひらいてしまう。

こどもの目線、こどもが主役の映画についてのエッセイがそういえばいくつもある。これから出版されるどもるどだっくも幼少期の高山さんのことが元になっている。高山さんも、”こどものわたし”とともにいるひとだったんだなと思う。そういえば、わたしの周りにいるひと、惹かれるものつくりのひとは”こどものわたし”とともにいるひとだ。
表面はあくまでみえている部分に過ぎない。土の下の部分、背景、そのものの表れる元になるひとつひとつは、聞いてみないとわからない。えほん作家、料理研究家、音楽家、カフェの店主、教師、文筆家、駄菓子屋のおばちゃん・・・その元は近くてもこんなにばらばらだ。

潜って息をして潜って・・・とくりかえして、ふーっとおおきく息をはいたようなときにいるとも。いよいよかたちにしはじめる決意をした。お店というのは、腹をくくって生まれるそのひとのひとつの作品。佇まいやくうき、ごはんの種類や量や盛り方、営む日にちと時間などひとつひとつからじぶんが滲み出てしまう。それを見せることも、好まれるかどうか向き合うことも、いやでもやらなくちゃいけないのだから勇気がいる。でも、生まれてきたからね好きをやる。こどものころにぼやけて見失ったじぶんとじぶんのすきを拾って磨いてぽけっとにいれて歩いてきた、このごろまで。さて、それをどうしていこうかね。どうなっていくのかしら。

夜ごはんは、タコスサラダ、卵ペースト、おばあちゃんの味(じゃがいも、玉ねぎ、人参、豚肉)、ごはん。

みんなが寝静まってからみたオトナの!。いくつものことばにはっとして、でもつかまえきれずにかっかっかっかっとした興奮とどこまでも正直なユースケさんがすてきだなということだけ残っている。

本日も、にこにこのんさんありがとう。

2016年6月8日水曜日

175 タコスと夕焼け

2016年6月8日水曜日


30歳まであと1ヶ月きった。

きょうは、帽さんの帰りが早いという。帽さんのすきなものを夜ごはんにしようとかんがえる。
夏の夕方、土日のスーパーの帰りに川沿いの石畳のところでタコスをたべながら缶ビールをのむというのがお決まりのときがあった。その時間がなんともいえずすきである。そこに漂う風をすぐに思い出せるくらい。「タコスたべたいなーとふっと思ったんだよね」とすこし前に言っていたな。川沿いでたべていたのは、ドンタコスだった。
高山なおみさんの『ごはん』という本をきのうからまた改めてぱらぱらとめくっている。そういえば、あったよタコライス。きょうの夜ごはんはきまり。本はタコライスだけれど、帽さんのつまみになるようにタコスチップス(?)で包むものに。

なぜこんなにはりきっているのかわからないけれど予報外れの晴天がさらに盛りあげる。ルートを考え、まずは近所の安いスーパーでスパイスを買おうと歩く。けれど、のんさんがうとうとしはじめて、スーパーのBGMで起きてしまうのはかわいそうだからと寄るのをやめる。駅前まで歩き、いくつかのお店にて品定め。駅前のお店はすこし高い。スパイスもいくつか買うとなるといいお値段だ。やっぱりあのスーパーに寄ったらよかったかなとなんどもぐるぐるした。醤油やお味噌など調味料はすこし高くても自然食品のところで揃えていて高いと感じないのに、スパイスに対してのこのけちけちしたきもちはなんなのだろう。

のんさんがふとんに思いきりお乳をもどしたシーツ、もうくたくただから引退のお風呂マットなど新調するものもリュックにつめて、太陽を浴びながらつるさんの八百屋さんにも寄って帰宅。

買い物にじかんをかけすぎてごはんの支度がほとんどできていないまま帽さん帰宅の時間だ。川沿いへ行く前にたかくんに借りていたものを返したらいっしょに行こうと、ビールと炭酸水を持って行く。あいこちゃんとすーさんも合流して、6人で夕暮れを味わう。たいようがいるうちに家に帰る、それだけで救われるきもちがあると思った。


夜ごはんは、豆乳味噌煮、胡麻サラダ、タコス。
サルサソース以外帽さんにつくってもらってしまった。うまくいかないな。
高山さんレシピは、ほんとうにどれもおいしい。タコスもとびきりだった。

お風呂にはいっているあいだ、のんさんが起きたようで、泣き声が聞こえた。帽さんがうたっている。わたしものんさんが泣いてどうしようもないとうたをうたう。困るとうたをうたうのだ。のんさんもうたっているのだろうか。

ふり向くと身体ごとよこを向いている。しばらくしたら寝返りをしようとして泣いて起きた。眠りながら寝返りするのか。これはたいへんだ。

2016年6月7日火曜日

174 デムスを語尾につける

2016年6月7日火曜日


つくる・・・手作業というよりものがたりや思い、そこにいたふうけいの切り取りをつくるひとの身体を通して紡ぐような描くような作業
(これはあくまでわたしのちょっとしたメモです。)
そりゃそうだということ、わかっていると思っていることが、ふっと腑に落ちたのだ。歩きながら気が向くところへふらっと立ち寄るようにして過ごしている中で、身体にはいってきたものが意識の遠くで握手した。

夜ごはんは、豆乳味噌煮(じゃがいも、カリフラワー、蕪の葉、人参、玉ねぎ、蕪)、厚揚げ、胡麻サラダ、ごはん。


きょうは、のんさん眠りの日。7じから3時間、12じから3時間、8じから就寝。
雨がやんだので夕方からさんぽをしたときも、すぐにこてんと眠っていた。
授乳をして眠ることがほとんどだけれど、しゅぱーーーっと外しある一点を見つめはじめたらひとりで眠りますの合図。そのまますーっと眠れるときもあれば、指を吸ったりタオルを口にいれてどうにかこうにか眠るときもある。どうにかこうにかしている姿の愛おしいことよ。

2016年6月6日月曜日

173 あざらしのあたらしさん

2016年6月6日月曜日


きょうは、楽器の日だったりほぼ日がはじまった日だったりするそうだ。

傘を持つことがきらいな帽さんとわたしは、きのうあたらしい傘を買った。ビニール傘を買うくらいならば濡れてもよいか、さすのが面倒くさいからすこしくらい濡れてもいいか、とそんな調子なのである。

もう7年くらい前のこと。下北沢で、雨に遭った日があった。いつもの調子でまあいいかと濡れていたのだけれど、これは傘をさしたほうがいいなと思うくらいつよくなっていった。コンビニに寄ると売っているのはおおきなビニール傘のみ。せめて、小ぶりのほそいビニール傘があったら買ったかもしれないけれどあのおおきなビニール傘はどうもだめ。500円出す気にならなくて、そのままそとに出た。でも雨は弱まらない。なんとなしにヴィレッジヴァンガードへ寄ると、虹色をした、ちいさなこども用の傘が置いてあった。あの傘を気に入ってずいぶん長くつかっていた。「それ、ちいさくない?」といろんなひとに言われながら。
帽さんも、すきではないからよく傘を失くし、すきではないのによく買うことがいやで、すてきな傘をと、紺色の丈夫そうな傘を持っていた。気に入っているから傘を持ったし、失くさずにいた。
鎌倉小学校の展示を観に行った日、長くつかっていたお気に入りの傘をふたりともわすれてきてしまった。傘をわすれるくらいの快晴だったのだ、たしか。

3年前くらい、傘を失くした年かな。札幌で雨に遭った。雨宿りをと、ふらっと入った建物はアウトドアブランドがたくさん入っている好みのデパート(?)だった。そこで頑丈そうでシンプルな折りたたみ傘をみつけた。帽さんは赤、わたしはきいろの傘をさして、大通り公園を歩いた。月日は経って、帽さんのはボタンが壊れて、わたしのはあながあいてしまった。
しばらく傘を持たずやり過ごしてきたけれど、そろそろ困るねと傘を買うことにした。札幌で買ったのと同じ傘(モデルが変わり手動で壊れにくくなったもの)帽さんは赤、わたしは銀色を。

好きではないわりに、好きではないからか、傘にまつわる思い出って覚えているな。あたらしい傘はちょっと持って出かけたくなるくらい気に入っている。


夜ごはんは、アボカド、しろい炒めもの、ひじき煮、鶏と大根のクリーム煮、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

2016年6月5日日曜日

172 番茶の出がらしパレード

2016年6月5日日曜日


床を拭くのと番茶の出がらしで箒がけをしはじめて、床がつやつやしてきた。床に置いてあるものが目につくようになり、掃除をしやすくしようと床にいたものをすこしずつ別のところへと移して、配置も変わっている。
そうしてリビングに置き畳を敷くことにした。昨日はすべてどけて帽さんが床を磨いてくれて、置き畳が敷かれた。きょう帽さんのジャンベたちの位置が変わり、ついでにと窓ガラスも磨かれた。

現状よりわるくならないように、日々の掃除はそのくらいのことなのだけれど(内田樹さんが村上春樹さんについて話されていたものにこんな話あったな)、そのものへ向けられた思いやくりかえしによって保つことで、ときどきえいっと前進する。ぐらぐらした歯が、すこしずつ揺すったりぶつかったりしてあるときころっととれたりすることを思い出す。

いる場所からほぼすべて見渡せるような広さのわが家だけれど、どんどんいいところになっているな。

そうして、きょうも番茶の出がらしで箒がけ。あっちやこっちへ寄り道しながら出がらしとともにキッチンを歩く。出がらしをみていると、そっち側にきもちがいるみたくなる。出がらしがおやおやどうもと声をかけると、埃やかみのけがひょっこりかおを出す。そうやってあつまってみんなで大行進になる。ディズニーランドのパレードみたいに手を振りながら右へ左へ。番茶の出がらしパレードだ!なんて思ったら書き留めたくなってこうして日記を書いている。こういうのを詩に書いていたのだなー、わたし。これも詩なのか、えほんのおはなしみたいなものにできそうな。してみようかな。


夜ごはんは、くるみ和え、しろい炒めもの(カリフラワー、蕪、しめじ、ベーコン)、かんぱち、ひじき煮、ぬか漬けたくわん、ごはん。
炒めものは、帽さんがつくってくれました


午後、掃除や整頓の流れでおでかけになった。ひさしぶりの西荻窪。またきたよの吉祥寺。いつもとちがう町並みを眺めて歩くのは、ぴかぴかしたきもちになる。のんさんのおもちゃ篭とわれらの傘、イトではひさしぶりのひとと会った。また会う日って来るんだなー会うひとだったのだなー

「抱っこをしているとき、密着しているからか機嫌がずっといいね」
きょうもにこにことおつきあいしてくれてありがとうよ、のんさん。

のんさんはきのうからひだり側へのうつ伏せから仰向けの特訓をしはじめた。

2016年6月4日土曜日

171 おおきな栗のキノシタさん

2016年6月4日土曜日


帽さんとわたしにはいくつかの「そうそう」があるのだけれど、要領がわるいというか効率がよくないというか不器用というのもそのひとつだ。
ただ、どう効率がわるいかというのは、ちがう。いまのうちにこれをしておいたほうがよいだろうことはわかっていても、気になるに手を出してしまう。そうして、じかんがかかるのがわたしだ。帽さんはなっとくいかないと終わらなくて、ひとつずつしかできなくてじかんがかかる。

今朝のわたしは、6じころ目を覚ました。よなか、なぜだかライブをみた日の夜のようなハイ状態にあって、家計簿のようなものをつけてみたり、達郎さんの記事をよんでみたり、日記を書いたりして、目にはわるいなーなんて思いながらふとんにはいったのは1時ころだった。授乳を終えて、のんさんの眠っているうちに眠ったらいいのに、どうしても洗濯とごみ捨てのことが気になってはじめてしまう。朝から快便の布おむつを洗い、洗濯機を回す。ついでだとキッチンの水まわりも掃除して、燃えるごみを出した。ここまでずっと何かがクルクルクルクルしている。よしもうひと眠りと思いトイレに寄ると、またついでだと掃除をしていた。こうやって眠るになかなかたどり着かないのだ。こういうとき帽さんはすやすや眠っている。

ふとんにようやくやって来たけれど、高山なおみさんのふとんシネマをよみ始める。オトナの!で松岡正剛さんが言っていたように目次からよむ。目次の気になることばに丸をつけて、よみ始める。本篇にはいってからも、気になることばにまるをつけたり、思ったことを書きながらよむ。これはとってもよい。わたしはそのひとの話していることばを聞いていたいだけなのか、語感だけをなでて、さらさら噛まずにたべるみたいに味あわず本をよむときがある。とくにさいきん。文字を追いたい中毒なのに中身を置いていったりしている。けれども、この方法はゆっくり咀嚼してたべるみたいだ。舌ざわりだけでなくて、じぶんの舌でかんじている味をたしかめる。出会ったものとの過ごすじかんが濃密になり、記憶にのこりそうだ。
と、のんさんが起きる。こうして、みんなが起きるころ眠くなって、だらだらして結局いちばんさいごまでふとんにいるというのが休日のわたしです。


いまよんでいる本は
・高山ふとんシネマ
・吉本隆明の声と言葉。
・ もっと自由に母乳育児

ふとんシネマをぐんぐんよんでしまう。よんで、線をひいたり、思ったことを書きながら。そうして、ふっと気がついた。たぶん、ずっとそこにはあってわたしが気がつかなかっただけなのだけれど、わたしにみえる輪郭が宿った。
5年前くらいにあったふあんの塊がいなくなっていた。5年で得たものがあるとわたしは知っていた。とても限定的なものだけれど、生きる筋力のようなもの、ついたと思えていたのだな。


夜ごはんは、ひじき煮、くるみ和え、ひき肉とレタス目玉焼きのっけごはん。


2016年6月3日金曜日

170 サニーサイドアップップー

2016年6月3日金曜日


ひさしぶりの助産院。整体のクラスに行ってきた。のんさんはからだのうごきもよいし順調に育っていると話してくださった。
整体を軸とした子育ては、やりたいときにやりたいことをやりたいだけやらせるのだそうだ。家事はあとまわし、こどもを第一にするからあたまをつかうそう。
それからおもしろかったのは、からだの癖でひとのタイプもおおまかにわかるということ。その癖からどうつき合うかなどこまったを解決するという考えかた。のんさんは、ねじりタイプっぽいね、と。積極的でわたしについてこいというかんじで、くよくよひきずらないような傾向をかんじるのだそうだ。おとこのひとのようなアグレッシブなあそび・うごきのほうがたのしいとかんじるというのは、まさに!だった。


本屋さんに立ち寄る。本屋さんは鏡だ。ここでうそはついちゃいけない。歩きながらアンテナをぼんやりめぐらす。ぱらぱらめくり、あたまでなくからだで、どうだい?と聞く。ぱっと手にとった瞬間にこれ!とかんじたら、それ以上考えない。そんなふうに選んだものは、わたしにとっての実用書がつづいていたことを表していた。そういう本はお休みしたいそんな気分のようだ。
写真と詩のような日記で構成された女性の一冊を手にとった。きょうのこのタイミングでなければ買わなかっただろうな。もう一冊は、高山なおみさんのふとんシネマの文庫。高山さんの文章を欲しているのだ。
のんさんにもぺらぺらいくつかめくった中で手を伸ばしたえほんを。白ベースのえほんはあんまりのようだった。


夜ごはんは、ひじき煮、くるみ和え、南瓜の梅サラダ、重ね煮のお味噌汁、ひき肉とレタス目玉焼きのっけごはん。

どのくらいなににお金をつかっているのか知るために書き出してみた。あたまがすっきりしてやることがみえる。使いやすいアプリもみつけたのでやりやすいを探してみよう。

2016年6月2日木曜日

169 編集工学者

2016年6月2日水曜日


きのうは眠ってしまったので、朝風呂のんさん。お風呂に入ったのあったのか、1じくらいから4じくらいまで眠る。夜一度も起きないような過ごし方をしていたのだけれど、ここ最近は昼も眠り、夜も起きる。お風呂のじかんを決めたりして、しっかりリズムをつくるほうがいいのかな。

起きてから夕方さんぽ。
はじめのころは眠るためのさんぽだったけれど、このごろは葉っぱをさわってあるくさんぽになっている。のんさんがひっぱるとちぎれる葉っぱ、ちぎれない葉っぱ。風があそんでにぎれなかったり。仲よくしたいのに手を伸ばすとちぎれちゃうなんてせつないなーと見つめる。
犬のさんぽをしているひとの声がうしろからする。その英語の音のきもちよさ。単語がたまに聞き取れるくらいで全然わからなかったけれど、このここちよさに浸れるようにともだちをつくれたらいいな。


夜ごはんは、ひじき煮、麻婆茄子、南瓜サラダ、ひき肉のレタス巻き、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

「のんさんを見てて思うことが2つ。ひとは学ぶ欲求がとてもあるということ。うごきたいから手を伸ばしてさわりたい、口にいれてなめたい、もっとうごきたいと。もうひとつはことばを持たなくても意思があるということ。ことばを話さないけれど、お風呂から出たいというかおをするんだよ。」
「おとなになってもそうだけれど、行為と意思はかみ合わなかったりするね。」

2016年6月1日水曜日

168 まわれレコード

2016年6月1日火曜日


やっほー、6月!(夜書いたのが消えていたよ、しょんぼり。)

クリーニングのビニールに手を伸ばして戯れていた。のんさんを観察していると、凝り固まっているものの使い方などの見え方が更新される。ひろがる。境界線みたいなものがぼんやりしてやわらかく溶けていくようだ。

夜ごはんは、麻婆茄子、蒸しとうもろこし、くるみ和え、グリンピースごはん、重ね煮のお味噌汁。

恋しく思っていた茄子。まだすこし季節には早かったけれど手を伸ばしたのでした。あゝ、美味しかった。

167 ばななと添い寝

2016年5月31日火曜日


きょうは、つるさんの営む八百屋さんへ。のんさんの夕方寝があって17じくらいに。
帰りに、駄菓子屋さんにあるような糸でひくコーラの飴をひかせてくれた。おおきさがばらばらでわたしのはとくべつちいさなやつだった。
さとうを控えているわたしにはちょうどよいおおきさ。なんでもなかったらたべない飴。きもちを受けとってたべながら帰る。栄養やはいっているものから得るよいものわるいものもあると思うけれど、つくったひと、くれたひとのきもちはすべて浄化してくれるんじゃないかと思っている。虹みたいなものをからだがとおるようなイメージ。

夜ごはんは、肉だんご、とりとだいこんの煮物、くるみ和え、そら豆のスパゲッティー、グリンピースごはん。


きょうは、6回ものんさんの着替えをした。おむつの折り方変えなくちゃかな。