わが家にはちいさな庭がある。ひと2人寝そべられるくらいの。野菜を育てていたけれどここ2年くらいお休みしている。もうすこしいい使い方ができないかなと、帽さんは山をつくることにした。きのう、汗だくになりながらその山をつくっていた。夕食後、山の名前をかんがえる。「お山」と呼ぶことにした。のんさんすーさんも呼びやすくていいかな、と。
お布団を干しながら、お昼前、そのお山を覗くと登山者発見。トカゲさん。標高は55mくらいなのだそうだ。
きのうの夜から日記の書く場所やわたしのきもちなどとは別にのんさんの記録を書くところのことを考えている。わたしのことだからぴっしり境界線というものをつくることはむずかしそうなのだけれど、整理をして改めるをしたい季節のようだ。
好きな日記や散文を読んだりしながら考える。書くことに求めていることは、それぞれ異なる。はてさてわたしはどうだろう、と。
日記を書く目的を考え直させるような言葉との出会いがあった。そして携帯電話との関係。公園を歩きながら携帯電話で書くのが即興的で合っていると感じていたけれど、携帯電話を見ることに疲れたり、風景を見なくなることがいやになる。それらが重なって、止まっていた。書きながら保留しながら考えることにした。
とてもお世話になっているひとに毎日風が吹くようななにかができないものか。うーん。
全体的には曇りだけれど、(どこかしらで雨が降っているなー)と(夏の、あの青々した色)が、曖昧な境界線で重なっている。はっきり言い切れないよって空が言っている。
きのうの夜、ふっと見つけた本のことがあたまから離れなくて調べる。これまでのわたしの考え方と反対側にありそうな子育てに関わる本。
感情的な情報やニュースに溢れると、吉本隆明さんの本を読みたくなる。最近は「13歳は二度あるか」を読みはじめた。まだまだ世の中がひっくり返ることがあり得ると話し、なにも知っていないとひっくり返ったときのショックがおおきい。よく眺め、ひっくり返ってもだいじょうぶなように、じぶんの考えの支えのようなものを持っておくといいよというようなことが書いてある。わたしは最近ずっとそれを求めていた。考えや選択する際の自信が足りなくて、腹にぐっとすわるものを鍛えなくちゃと思っていたようだ。知ろうとすると周りの情報の感情に酔っちゃって、どうもうまくいかない。そんなときに吉本隆明さんの本を読もうとする。本質的なお話は、いまの彼が生きていて話してくれているように読める。
ぼんやりとしたことばにならないも大切にしながら、見極める自信をつけたいなと思っている。
夜ごはんは、長芋のおひたし、とりのトマト煮込み、しょうが焼きときゃべつの千切り、重ね煮のお味噌汁、ごはん。
へんなモードに入ってしまって、夜中のんさんのアルバムづくりをはじめた。写真の選定をようやっと終えて眠ることにする。
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