2016年9月30日金曜日

二八九

二〇一六年九月三十日金曜日


晴れのち曇り

二年ぶりくらいに会うそのひとは、まいにちのように顔を合わせて、よく乾杯していた。

わたしがお酒を解禁したときには三人でげらげら笑って、だれかにでんわをかけたりしちゃってのみたいな。

気がつくととなりをそっと歩いているところすら変わっていなかった。


ふっくら満たされ、たのしいまあるい日は、どうしてだかうまく日記が書けない。
日記を書かなくてもいいかな、なんてきもちになったりもする。
きょうはそういう日だ。

夜ごはんは、秋の煮物、ポテトサラダ、海老とブロッコリーの炒めもの、お昼のお寿司、あったかいうどん(茄子、大根、しめじ、玉ねぎ、葱、生姜)。

2016年9月29日木曜日

二八八

二〇一六年九月二十九日木曜日


雨が降っていたと思ったら日差しが見えて、晴れたらすかっと雨が降った。
綿をやわらかく引いたような雲、いわゆるうろこと言われるようなちいさなしろいタイル並ぶような雲、濃い灰色の重そうな雲・・・ゆったりしているけれどなんだか落ち着きのない空だった。

手帖に書いていたきょうの予定は、3月のライオン発売日。
のんさんに付き合ってもらい、駅の方へ。

帰ってきてのんさんが眠り、遅いお昼をたべながらすららーっと読んでしまった。羽海野さんの漫画は、時々記念写真みたいな一ページがある。じんわり。

火曜日に買ってから宇多田ヒカルさんのアルバムをくりかえしくりかえし。これについてだれかと話したい。これに限っては音楽家・評論家の方の意見も聞いてみたいなーなんて思う。こんなに同じアルバムをかけ続けているのはいつぶりだろうか。すでに口ずさめるようになってきている。歌詞をよまなくてもうたえるようになるうたは、いいなと思う。


夜ごはんは、海老とブロッコリーの炒めもの、ポテトサラダ、秋の煮物、雲丹の塩辛、すじこ、ごはん。

2016年9月28日水曜日

二八七

二〇一六年九月二十八日水曜日


ひと差し指を切った。
利き手ではない方のひと差し指。
包丁で切れた瞬間、(あ、)すぐにわかった。いつもならすぐに切れた部分をぎゅっと押さえる。切り傷はだいたいぎゅっと押さえたらすぐにくっつく。絆創膏いらず。
けれどもきょうは、わかったけれどぎゅっとしなかった。(いいか)と思った。なんでだろう。(いいか)と思った。
利き手ではない 方のひと差し指は、実はとてもよく使うようで、まあ沁みる。切るときも、お皿を洗うときも、髪の毛を洗うときも、のんさんにごはんを食べさせるときも。
痛みはいつもよりひと差し指の存在感をおおきくする。いつもありがとうとか、たまにはそう思いなさいよ、言いなさいよ、とかんじるひと差し指のつよがり乙女心。

ひと差し指って、おかあさん指と言う。
あの比喩はなんだろう。
わたしの手に住むかぞく。
ずっとおかあさんなあなたよ、
たまには赤い紅ひいて、マニュキュアぬって、お洒落して、わがまま言ったらいい。


変わる顔への違和感をかんじてから薄くなっていき、とうとう化粧をしなくなっている。
さらに産後、化粧品をつけるとひりひりするようになってしまった。
なんだかわたしの中にちいさくいる乙女は肩身の狭い思いをしているな、とふと思う。
乙女をのびのびさせてあげたくなっている。
結婚式にも呼んでもらったことだし、まずはマニュキュアを。
いきなりぜんぶの指に色がついたらどきどきしてしまうからいくつかにだけそろりとぬる予定。
ひと差し指にはぬる。お洒落しましょう、おかあさん。

(びんかん肌によき化粧品あるかしら。ら。)


夜ごはんは、秋の煮物(しめじ、さつまいも、蓮根、牛蒡、ぶた肉、生姜)、冷奴、丸茄子味噌(中身をくりぬいて、玉ねぎと炒めて、茄子の器に盛ってトースト)、ごはん。

初回を聞いた大宮エリーさんのラジオ。日記を書いていたらたまたま最終回を聞けた。

2016年9月27日火曜日

二八六

二〇一六年九月二十七日火曜日


ひとつのショーを見せているような夕方の空だった。

音はない
ただ移り変わる

いつ練習をしているのでしょう

淡い紫のような橙色と夜を混ぜた青色のストライプ 
太陽は空を焼く
筆を止めずに息をとめて雲と舞う
空がまあるいことがわかるようなおおきな弧を描いた雲
公園の木々がそっといい助演俳優

吸い込まれるみたいに地平線のあかるい穴めがけて楽隊は行進してゆく

ヘッドホンしてあんぱんかじってる自転車こいでるにいさまも
花柄のシャツ着たおばさまも
赤子を抱いたわたしも
みんな空を見上げる

時々そうやって諭しておくれ
また見せてね
チケットしのばせ待っています


夜ごはんは、ぶたと野菜の炒めもの、焼き秋刀魚、重ね煮のお味噌汁、沖平目のお刺身、秋刀魚のお刺身(あいこちゃんより)、とろろ、ごはん。

暮しの手帖の秋刀魚特集「・・・七輪などでなくても、フライパンでもおいしく・・・」と書いてあるのを読み、(そうか!)と帽さんはなった。(七輪で焼いたらいいじゃん!)そうして、お風呂から上がるとコンロのあるはずのところに七輪がおり火のよい音がしていましたとさ。
いやあ、おどろいた。でも、これは大正解で七輪で焼いた秋刀魚は薫っておいしいものだった。あいこちゃんたちとの夜ごはんで、日本酒が吸い込まれるようにみんなの身体に流れていっていた。
日本酒のアテに、雲丹の塩辛、蟹味噌、筋子。

みなさまとてもとてもたのしそうな夜。(あした、遠足にいこうー!)とあいこちゃんが言っていた。のんさんはよおく眠る。

2016年9月26日月曜日

二八五

二〇一六年九月二十六日月曜日


晴れと曇りをいったりきたり

きのうから全身に湿疹ののんさん。
熱の後だから突発性発疹かしら。
夕方四時ころ外に出るともう暗い。曇っていたというのもあるかもしれないけれど、いよいよのんさんが生まれるまでに歩いたあの季節が巡ってくる。

散歩から帰り眠そうなのんさんを何度よこにしても、うとうとしたのに起き上がる。そしてびっしょりと汗をかく。暑くて眠れないのかなとうちわで扇いでも汗を拭ってもくるんと起きる。
帽さんは打ち合わせで遅い。これはのんさんと夜ごはんたべてしまおうと様子をみながら作り盛ってたべはじめる。できるだけはやく食べはじめられるように(ちゃぶ台の上につかまり立ちして手を伸ばす=ひっくり返す)、冷奴はもはや切らずにどぶんっとお皿に流した。ふー。

ぱくりぱくりとたべて眠そうにうなだれて、するりとバンボを降りると立ち上がりお皿に手を伸ばす。あゝ、じぶんでたべたいのだな。
木の器にたべられるものをよそうと、汗をかきかき一生懸命つまんで口にほおばる。口にはいる量の倍以上床やおなか、足などについてお米マンになっているのだけれど、ひたすらに手、指をつかってたべる。感触を味わい、距離をゆっくりはかり、往復する。そして時々わたしの視線に気がつくとにっこりとうれしそうに笑う。じぶんで食べられるということは喜びだ。
たべている最中、その覚悟をせずにはじめてしまったからべっとべとのぽろぽろの掃除をしながらじぶんのごはんがたべている気がしなくてなんだか疲れてしまったけれど、こうやって書き出すとなんて大事な行為だろう。やりきって、ようやく眠った。おつかれさま。

夜ごはんは、冷奴、すじこ、ぶたと野菜の炒めもの(しいたけ、大根、さつまいも、玉ねぎ、人参)、重ね煮のお味噌汁、梅じゃこごはん。

2016年9月25日日曜日

二八四

二〇一六年九月二十五日日曜日


晴れと曇り

甘いお菓子にご用心
ぷんすかおばちゃんお出まししちゃう
あたまの会話にご用心
火の種のもと こねてまるめて


帽さんは光明さんと自転車ランデブー。寝坊をしたようで、言葉のとおり飛び起きて十分くらいで出発していた。

公園へゆこうと玄関をあけたら帽さんがちょうど帰ってきた。あれまびっくり。おむすびをにぎって、公園でお昼ごはんをたべる。
のんさんはどんな状況のときでも全力で最大限味わって夢中になってよく笑う。それでも、三人でシートの上でごろんとしたりたべたりしているとき一段とにっこりしていたような気がする。

長野から帰ってきた藤原家と家の前でお喋り。公園で三人で話しているだけでも身体にたまっていたガスが出ていっていた。けれどまだなんだかおなかにはもんやりがいたみたい。あいこちゃんと会って喋ったらまあるくおさまっていくのをかんじる。
あまりに降りたそうなのですこし路に座らせる。コンクリートロードをはいはいして、歩くすーさんを追いかけはじめた。すーさんはとびきりの速さでずんずん行くのだけれどふり返る。のんさんはあるときまですーさんを見ていたのだけれど視界にはいるひとつひとつが気になったりお休みしたりして、はいはいをしはじめた目的のことを忘れて目の前に夢中になっていた。(たねみたいだね)とあいこちゃんは言っていた。

夜ごはんは、秋刀魚のお刺身、ほうれん草のお浸し、ブロッコリーとひき肉のスパゲッティー、スープカレー(レトルト)、ごはん。
ほうれん草のお浸しというのは、ひさしぶりに食べると(おいしいなあ)ってしみじみ思う。

二十一時になる前に帽さんは眠る。のんさんはうんちくんが出ていたり、暑かったり、なかなか眠くて眠れない。スパッツを薄手のものにして、うちわであおぎながら授乳をして二十二時過ぎにようやくすやすや。そうしてオレオをたべながら日記を書く。

2016年9月24日土曜日

二八三

二〇一六年九月二十四日土曜日


帽さんはりんごのあの店へ相棒の修理
ほんとうはひさしぶりのあの方と会う約束
身体がぽかぽかののんさん
しかたなし お留守番

すりおろしりんごをゆっくりすいすいぱくりぱくり
いつもよりごくりごっくりのむ番茶
身体のほしいにしごく忠実
よこになる ごろり
汗をかいて
あの熱のきもちわるさ
幾度と声をあげる
ちいさな身体からはみ出す熱さ
ぎゅうっと包んで包んで昇華

午後二時とすこし 夢と現をぬけて目を覚ます
やり遂げてかえってきたそんな顔
体温計はもういらないみたい
汗をかいた服を着替えて 彼女のいつもの温かさをたしかめる
おつかれさまおつかれさま
ああがんばったがんばった


よき書店をみつけたとほくほくして帰ってきた帽さん。
暮らし・火・遊び・環境・こども
こんなキーワードの本たちが鞄から出てくる。

夜ごはんは、キムチ、冷奴、いつかの煮物、お味噌と酒粕の鍋(三日目)、ごはん。

わたしはこの雨にとじ込もっていたあいだに、3月のライオンのせかいにどっぷり。
出ているすべてを読んで、ようやく水面から顔を出して息をした。


こんなふうに書いてみて、わたしはいろいろおざなりにしていたなとはんせい。
うっす おっすおっす。

2016年9月23日金曜日

二八二

二〇一六年九月二十三日金曜日


ほんとうは約束があったけれど、のんさんが発熱していたのでまた今度にしてもらった。

機嫌はよくて彼女はいつもどおりのように過ごしている。すこし甘えんぼでいつもよりおっぱいをよくのみ、その分おしっこの量が多い。

彼女にとっては微熱くらいの温度なのだけれど、38.3℃ある。首元やおなかがあっつくて、抱くと熱をじんじんと感じる。

熱よ、さがれー
熱よ、さがれー
と祈りまくりながら彼女のにっこりに励まされる。まったくかなわない。

ときどき口をすぼませて、きもちわるいというかおをする。のどが痛むのかな。
のどが痛むという現象も、発熱も、はじめてのこと。彼女にはなんだかへんなかんじ。きもちがわるい。というふうなのだろうか。


宇多田ヒカルさんがゲストのSONGSを見た。彼女はこどもを育ててみて、失われていたじぶんの2,3年を取りもどせるようだというようなことを言っていた。じぶんの記憶にはないほんとうにはじめのころのこと。父や母がどんな顔をして、どんな声をかけて、育ててくれていたのかを覚えていない。それが根っこになるのに、覚えていなくて闇にもなる。それを、こどもに声をかけながらすーっと見えてくるのだろう。


父や母がじいちゃんばあちゃんになって、のんさんと接するときこんなにやさしい目をするんだなーというかおに出会う。はじめ、なんだか照れてじっと見つめられなかったけれど最近はその表情をじっと見つめる。
こんなふうに愛でてもらっていたのだな、と。
のんさんを見つめる父母をみながら、幼いわたしを見つめる父母に会っているよう。


夜ごはんは、キムチ、お味噌と酒粕のお鍋二日目、ごはん。


2016年9月22日木曜日

二八一

二〇一六年九月二十二日木曜日 秋分の日


雨。(ほんとうによく降る。泣きたいだけ泣いたらいいというきもちになってくる。)


下北沢のいつもの美容室へ。のんさんに付き合ってもらう。いつもだけれど、ありがとう。のんさんに声をかけてくださったり、おむつ替えの場所を貸してくださったり、それだけではなくて話すことひとつひとつにやさしいが溢れている、愛のあるひとだなーと話すほどに思う好口さん。大変お世話になりました。いつもありがとうございます。

叱ることについて、ゴシップ、身体、たべることについて、寝具について・・・ひろくて深くて、ふふふと笑えて。いやはや、愛だなー愛。


実ははじめてのダーウィンルームに立ち寄り、古本を三冊。深くて密度が濃ゆいのに風通しがよくて、こどももいられてこれはなにかのヒントになりそうだな。よきところだった。
帽さんが選んだのは井上ひさしさんと虫にまつわる本。わたしは瀬戸内晴美さんの本。さて、ダーウィンと通づるところとは。


夜ごはんは、小松菜と厚揚げの煮浸し、キムチ、お味噌と酒粕の鍋(せり、えのき茸、椎茸、白菜、鮭、鶏肉、豆腐、葱、牛蒡)、ごはん。

眠るとき、のんさんを触ると熱い。これは熱かもしれない。体温計の音で起こすのもわるいので計らなかったけれどこれは着込みすぎて熱いとはちがう身体の熱さだ。

2016年9月21日水曜日

二八〇

二〇一六年九月二十一日水曜日


ほんのすこし日差しがみえた。曇り。

3月のライオンをふっと読みはじめたら、ひびいてしまってすき間を見つけてはぐんぐん読む。五巻まで読んでとまっていた。いまちょうどいい温度みたい。

夜、とある二人からメールが届く。それぞれずっと会っていない大切なひと。あゝ会えるのだ。会えるのだ。うれしい。合わない時間はたっぷり会ったけれど会うときにはこんなにさくっと会うことになる。

なにかが動いている
とくとくとく とくとくとく

夜ごはんは、冬瓜と鶏肉の煮物、厚揚げと小松菜の煮浸し、重ね煮のお味噌汁、オムライス。

たまごは帽さんが焼いてくれた。


おおきなおおきなオムライス
お店ならば半分かそのまた半分
お上品にはいられないのよ
愛しのあの子を思ってオムライス
ちいさなひと口をゆっくり運ぶ
みているだけでオムライス
わたしのおなかは満たされる

ちいさな理由はそれかしら
ちいさな理由はそれかしら
そんなときだけレディーファースト
大盛りはプラス二百円

家ならおおきなオムライス
だれかに笑われたっていい
たまごは三つオムライス
ケチャップできょうはなにを描く

2016年9月20日火曜日

279

二〇一六年九月二十日火曜日


雨。たいようは大型連休中。

みえそうでみえなくて
なんだかまったくつかめない
温度計はこわれているのか あつくもなくてさむくもない
ぼんやりと ただぼんやりと
すこしながく横になりたいなと思う

夕方、のんさんが眠った。夜ごはんの支度もほぼできていたので、ふっとコースターを縫いはじめる。刺繍枠を買ったのに、出番がやってこなくてずいぶん経っていたけれどようやく。なんて縫いやすいのだろう。これならばいままでよりほんのすこしじょうずにできそう。これはこれはよく考えられている発明品。

夜ごはんは、冬瓜と鶏肉の煮物(椎茸、牛蒡)、厚揚げと小松菜の煮浸し、焼きほっけ、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

きょうはのんさんもいっしょに夜ごはんを囲む。お米と冬瓜、おさかな、味噌汁とよくたべた。

2016年9月19日月曜日

278

二〇一六年九月十九日月曜日


しとしと雨。空は暗い。(すかっと晴れてくれないかな。)


しずかな、フラットな、 きもちのおちつく服を探したら上下生成り色になった。

昨日と一昨日は、黒い服に包まれていた。
黒いカーディガン、襟のおおきな白いブラウス、黒い太めのパンツ、黒いタイツ、黒い靴。
大学生のころくらいからすこしずつ黒い服を着なくなり、いまは下着くらいしかない。ありものではどうにもできなくて、母が揃えてくれた。将来白髪まじりのショートカットで着こなせたら素敵そうなそんな服たち。

式とつくもので身につける服と、日々の服とのあいだに距離があるとなんだかそれだけで疲れてしまう。それはそれとして特別なものを味わえたらいいのだろうと思うのだけれど、日々のわたしを消してどこかに追いやってしまうようで、どうにもでこぼこしたきゅうっときもちになる。

母が揃えてくれたそれらは、日々のわたしのままでいられる服だったので身につけていてきもちがよかった。けれどもやはり黒。わたしはまだこの色をなんだか着られそうにないな。(せっかく揃えてもらったので靴やパンツは身につけようと思っている。)

その反動のようなものが上下生成りになったのかもしれない。
やわらかく、どういても受け入れてもらえるような、受け入れられるような。



この時期がやってきたとたのしみになるえみおわすの展示へ、かわいいあのこと行く。
そのひとの元へ行くべきだったのだよね、というところへそれぞれは流れつく。あのこの選んだかごもそうだった。


夜ごはんは、冷奴、肉味噌レタス巻き、重ね煮のお味噌汁(琥珀茸、キャベツ、南瓜、玉ねぎ)、納豆キムチ丼。

食後、帽さんとそれぞれの地図を描いた。ふるまうというのがわたしのキーワード。

277

二〇一六年九月十八日日曜日


お酒をのむひとも少なく
お喋りもにがてな親族にはひろすぎる会食の部屋
きもちが鎮まってゆきにくい形式への緊張

儀式への感心と、一方でこんなときにはただただゆっくりとこじんまりと狭い部屋でぎゅうぎゅうに、黒い服なんて脱ぎ捨てたらいいのにというきもちになった

車いすに乗る彼のうしろ姿
父と三人のこどもが並んで座るうしろ姿
病院でさすった彼女の手の感触
車いすに乗る際ふんばるために握る彼の手の感触
彼の肌のつめたさ


五人兄弟の二番目である彼女
四番目の妹は彼女と同じ目をしていた
彼女よりすこし細いシルエットだけれどよく似ていて彼女の妹を見ると、彼女に会えているようだった


夜ごはんは、家でつくった醤油ラーメン(もやし玉ねぎ大蒜を炒めたもの、焼豚)。

帽さんがつくってくれた。なんだかとってもおいしかったな。帽さんがラーメンたべたいと言って、味噌がいいなと言いつつ冷凍庫にあったのは醤油。
ひと口目をずずっとすすった瞬間あ、きょうのごはんはこれだった。ラーメンなのも、醤油なのも、正解だ、と思った。

2016年9月17日土曜日

276

二〇一六年九月十七日土曜日


そのひとには、三人のこどもがいた。しずかな愛のひとである兄、お喋りで彼女によく似た弟、やさしさの外側できもちが波うってしまう妹。

せっかちで、落ち着きがわるく、「じっとしてなよ」と都度言われていた彼女。

冬に遊びに行くと、外の段ボールの中からみかんを出して「食べな。」と言い、食べているとおせんべいを盛った皿を出しながら「こんなんしかないけどー」と言ってケケっと笑い、また台所へ。
兄弟はいつでもすこしあきれたように彼女にそう言った。
「もういいから。じっとしてなよ。」

そんな会話をよく聞いた。

聞き役の兄はそんなことはなかったけれど、弟と妹は彼女と喧嘩をした。歳を重ねても喧嘩をよくしていた。いっしょに暮らしていた妹とはとくに。口喧嘩の末、彼女は近所に住む長男の家に家出したりした。

それでもふりかえったとき、彼らに写る彼女はやさしい母、だった。
妹はちいさく、でもしっかり伝え涙を流す。「怒ってばかりいてごめんね。ありがとう。」


そして口下手な旦那がいた。家事には非協力的、頑固が故聞く耳を持たなかったりした。晩年別の部屋で過ごす時間も増えていた。

彼女の手をさする彼すべてから愛が伝わった。だれよりもなんどもタオルで目元をふき、あたまを抱えていた。
みているだろうか、彼女は。



三人のこどもは力を合わせて協力した。お互いを思い、父を思い、そして母を思いながら。
彼女は三人のこどもに恵まれ愛されつづけた。それは彼女の成し得たものであり、宝。


(わたしはなぜだか涙は出なかった。ごめんなさいとありがとう、それから言ってもらった言葉を思い返したりしていた。)

それぞれが彼女を見つめながらどんな思いを話し、どんな風景を思い浮かべていただろう。

彼女はどんなきもちでいるだろう。


おーい、聞こえているかな。
あなたを思っているよ。
彼らの声がどうか届きますように。
そしてあなたの声が彼らに届きますように。


夜ごはんの記録はなし。

2016年9月16日金曜日

275

二〇一六年九月十六日金曜日


祝九ヶ月!ありがとう おめでとう
今月も来たよ、十六。

はいはいは速さをましている
行きたいところへじぶんで向かえるようになっている
つかまるところがあれば(それは頼りないというものでもつかまる)つかまり立ち つたえ歩きもはじまった
ぱちぱちぱちぱちよく手を合わせるこのごろ うれしそうに
三回目くらいになると指がからまっちゃって その手を口につけて わたしがたたくとまたひらいて手をたたく

むすんでひらいて手をうってむすんで
わ、それだ

またひらいて手をうって その手を口に

彼女がすることに帽さんもわたしも母もすぐ手をたたいてよろこぶ
きっとそれをよくみていて 模倣しているのだ
本能と模倣
かがみよかがみよかがみさん おしえてくださいかがみさん
きっと彼女におしえられるのだろうな
表情 仕草 言葉 癖
いやはやこわい ぞぞぞぞぞ
へんてこ言葉ごめんあそばせ

母に買い物につきあってもらう、はずがのんさんの洋服をはじめいろいろいただく。
せめてもの、せめてもの、と「夜回り猫」という漫画を贈る。


夜ごはんは、アムリタ食堂にて。
生春巻き、秋刀魚(揚げたもの)ときのこのサラダ、野菜と魚介のカレー味炒め、ガパオ、もち米。

のんさんはもち米をよくたべる。スプーンを振ったり、カオニャオの容器が気になったり、手や舌でたしかめながらも、もち米が顔に近づくと(あっ)と口をあける。わたしが(いまだ!)とたべていると、時々(まだか)と目で伝える。あれは話せていたと思う。ものすごく目が話していた。途中から食べさせてくれていた母は(歯にさわったーーーー)などとかわいく興奮する。(こうやって抱っこしているとめぐのこと抱っこしていたの思い出すの)と溶けていた。わたしもこうしてもらっていたのか、それをこうやって見ることができるって不思議。そしてこどものころのわたしを撫でているみたい。


くるりくるまれた丁寧をひらいてほどいて
うれしさとともに どっと罪の味
つくりましょうつくりましょう
それからこれから

2016年9月15日木曜日

274

2016年9月15日木曜日


下の歯が二本みえるようになってきたのんさん。
じいちゃまばあちゃまへ見せたくてシャッターチャンスを探すけれどきょうも逃す。ぶれてもかわいいなと眺める。これはこれでよしとしよう。

自然食品のお店へ歩く。道はぬかるんでいるからはらっぱはいはいはお休み。秋物のスパッツに靴下、半袖ワンピースでは寒くなってきたのかもしれない。あたまは汗をかいて、触ると冷えていてむむむむずかしい。ちいさな震えに焦ってひたすらに温めることばかり考えていたあの冬が来るのだな。わが家の冬は寒いのよ。じぶんで動けるようになってすこし、すこしきもちがふっくら。とできたらいいな。冬よ、お手柔らかに。

夜ごはんは、煮物、冷奴、しらすとプチトマトのスパゲッティー(椎茸、ズッキーニ、白菜、長葱、人参、大蒜、生姜)。
デザートに白玉だんご(きな粉とともに)。


きょうは十五夜
十五日が十五夜なわけでもなくて
十五夜は満月なわけでもなくて
旧暦の八月十五日
秋の真ん中

月ガデタデタ 月ガデタ
雲をかきわけよく来た よいよい

ひそひそ声で伝えます
親しみをこめて呼ぶ お月さん
きょうものんさんは元気です

あの日から見守られていると感じて
満月のころ報告をする 無事とお礼
おおきくなるおなか
ああまた今月会えた
パンをよくたべるのよ
ああまた今月会えた

ひそひそ声で伝えます
親しみをこめて呼ぶ お月さん
きょうものんさんは元気です

2016年9月14日水曜日

273

2016年9月14日水曜日


朝は雨。時々日差しが覗く曇り。

ああでもないこうでもないとできることをすっ飛ばしてできないことをしようとしたり(それも修行。よきかな。)スランプさんさんと思っていたこのごろなのでした。あいこちゃんにいただいた「こっこさんの台所」という本を読んでほぐれていった。さらっと読ませてもらった日とその次の日(いただく前)、”はじめに”に書かれていた言葉がぽくぽくぷかぷか浮かんでちらついて気になっていた。(これはひつようなやつな気がする)そんなわたしの直感と、(これはなんかたねによさそうと思って)というあいこちゃんの直感は大当たり。たまやー。

ほぐれた理由のひとつは、リズム。まだ読書なんて。。と思っていた小学生時代。唯一ひとつ覚えていて、さらにわたしの芯になったそれ。まどみちおさんのくまさんという詩。リズムに心さらわれた。それから自由学習という宿題(1ページなにかすればいいという宿題。とてもすきだった。)やじぶんのノートに、詩や作文を書いた。わすれたくないきもちや景色をうわっと書きなぐるのだけれど、意味やきもちや景色にあてはまる言葉よりも多少離れたってリズムのよい言葉を選んだ。こっこさんの台所にはいくつか詩が載っていて、それはきもちのよいリズム。軽やかにスキップステップつっつかたっ、てなるような。現実と現と奥行きとそのバランスが絶妙に好みだった。

ぱらりはらりそれそらはられ
ずんずかずんずん
ずずずんずん

そんなふうに風が吹いて、もやが晴れていった。
そんなきもちもあって、ふっとfacebookに改めてのきもちを綴る。

あのこがくれたわざわざのメールはお守り。そのまますのままつづけるよ。

夜ごはんは、白菜と油揚げの煮びたし、キムチ、煮物、豆乳スープ(ごぼう、南瓜、白菜、えのき、ウインナー)、ごはん。


また思い出す日がふえた。九月十四日。そちらへの道、険しくないように。朗らかなかおを思い出しているよ。

2016年9月13日火曜日

272

2016年9月13日火曜日


まだ空を暗い夜なのか朝なのかぼんやりあたまで授乳。帽さんの目覚ましが鳴り四時半だとわかる。洗濯だけ回しておこうかなと起きあがると睡魔はどこかへ。朝ごはんの支度をする。

外は雨。ひんやりとしている。

きょうも、のんさんは快便。よかったね、とこんなにうれしそうなわたしにきょとんなのんさん。


雨ならがたごと電車の帽さん
あめあめふれふれのんさんわたし
銀色傘でお迎えるるる
羽織るカーディガン
ひんやり風吹くでんぐりがえし

夕方ってせかせかしてしまいがち。夜ごはんの支度に、お風呂、眠るまでに駆け抜けるチェックリスト。いつしかリズムが生まれて時計を眺めて身体をうごかしていたり。それはそれでわるくないのだけれどポリリズム。ずらすよゆうを持っていたいなと思う。
遅い、はやいとぷんすかして守るそれよりも、お迎えの行き帰りの風景をいっしょにみよう。ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん。

駅からわが町のワンコインワゴンバスに乗って帰る。十名限定のぎゅうぎゅうバスは、乗っている方がおっとり穏やかでどこかの田舎町に来たようなきもちになる。のんさんと乗るようになってからはとなりの方、後ろの方が声をかけてくれたりする。きょうも、仕事帰りの年配な方が微笑み声で話しかけてくれる。疲れてぶーっとふてくされているようなひとをあまりみかけたことがない。はじめましてでも、きのうも会ったひとみたく気さくに話すお喋りバス。のんさんは眉間に皺をよせてじーっとみつめていた。帽さんをみると表情はゆるむ。


夜ごはんは、白菜と油揚げの煮びたし、キムチ、冷奴、煮物(ごぼう、じゃがいも、鶏、白菜、まいたけ)、ごはん。

そろそろ白菜が食卓にならぶ季節。

2016年9月12日月曜日

271

2016年9月12日月曜日


のんさんがぱっと起きて、帽さんの目覚ましも鳴っているし、えいっと起きる。洗濯物を放りこみ、スイッチを押す。ホーローのポットでお湯を沸かし珈琲を淹れる。
帽さんはまだ目覚ましのなる中、眠っている。珈琲を何杯いれるか聞きに行くと「ありがとう」っとほわっと言う。(そうだよなー帽さんだってほんとうは朝の準備してもらいたいよなー)と思う。
のんさんは家の中をかれこれ何周目だろう。寝起きなんて言葉は知らないわっというようす。
三人で食卓を囲む。「(朝ごはんに)のんさんもいてお休みの日みたいだね」


ふぁーーーーーやっと出たよ。出てきたよ。
おめでとおめでと。小躍りするよ。
4日目の朝やっと出た。
居心地よくってうたた寝してたわ。
出てきてくれてありがとう。
隠れてないで出ておいで。
お手やわらかに。
はひふへほっと。


夜ごはんは、鶏すき、ごはん。

わらいながら冗談みたく話すひりひりは、よっぽどのやつだ。

2016年9月11日日曜日

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2016年9月11日日曜日


きょうは、9月11日だ。

同じアパートの高校三年生の女の子(ともだち)が学祭に誘ってくれてこれから行く予定。昨年は沖縄旅行当日で駆け足でその子の所属する写真展をみて、手づくりコーヒーカップに帽さんが乗った。短いけれどとっても刺激があったのかな、よく覚えている。

出あった年は小学五年生だった彼女。わたしたちと同じ干支の彼女。誘ってもらい、帽さんたかくん三人で授業公開を訪れたこともあった。昇降口に受付があり、どのひとの保護者か(または知り合いか)名簿に丸をつける。だいたいはひとつかふたつ。わたしたちが順番に名簿に記入すると彼女のところだけやたら丸が並んで、投票の指示を伸ばしている人気のあるひとみたいだなって思ったことを覚えている。

高校生を見て、(ああ、かわいいなあ)と思う年になっているんだなと改めて思う。高校三年生の子が干支ひと回りちがうのだもの。ともだちのクラスは、ピザパン屋さん。キッズスペースまで作っていてわたしたちとあいこちゃん家族にはありがたいところだった。のんさんはボールプールに座り(座らされて)次々来る彼女のクラスメイトの子たちにかわいがってもらっていた。愛想を振る舞うわけでもなくただ座ってじっとみつめている。

それぞれに着ているクラスTシャツ(ポロシャツもあり)。なにかをもじったパロディのようなものが多かった。見たものはすべてそうだった。模倣の季節。
ともだちのクラスに関してはと言っていたけれど、クラスの何名かで出店内容を決めていて、とととーんっとまわりはついていくスタイルだったそうで、なんだかそれもちいさくおどろいた。なんだかの縮図をみているようよ。


お昼はせっかく阿佐ヶ谷だもの、気になっていたピッキーヌ。タイ料理屋さんはどこも子連れにやさしい、いまのところ。だいすきなカオソイをほおばる。のんさんは眠くておなかもへってきていてすこしぐずっていた。モゾモゾ、アーンっと。ここでヒーロー登場。もち米(カオニャオ)。もち米入れ(カティップというみたい)を抱え、手でほおばる。さっきまでの落ち着かなさはどこへやら。手も顔も腕もいたるところで米粒は踊っていた。帰り道、のんさんを触ると固まったぱりぱりお米がかくれんぼしているのをたくさんみつけた。こどもが生まれてからあいこちゃん家族と外出・外食ははじめて。これからまたぽつぽつとーと話す。


夜ごはんは、すき焼き。
帰りに寄ったダイヤ街で、おむつ替えをしているあいだに帽さんたかくんが話して決めて具材を買ってくれていた。のでこどもたちが眠った後にいっしょにたべる。

たかくんが結婚式のためにつくってくれたムービーをひさしぶりにみんなで眺める。いっしょに行った旅行などの写真や動画が盛り込まれていて、これまでをふりかえる。このムービーにこれからすーさんのんさんも入っていくのだ。うふふ。

2016年9月10日土曜日

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2016年9月10日土曜日


母、弟、母のおともだちであってこどものころからお世話になっているけいこおばちゃんと代官山と渋谷。
ひさしぶりのおいしいお寿司屋さんに、ひさしぶりの洋服屋さん。きもちが落ち着かなくて、みているけれどみえていなくて、あたまの中がとっちらかっていた。なんでだろうな、なんでだろうな。

ずっと抱っこで動きたいよね、と無印のこども服売り場の階にあるプレイスペースへ。三輪車をおしたりひいたりして遊んでいた。それはそうなのだけれど、同じくらいの年齢の子でもこんなに顔がちがうのだなーとぼんやり眺める。(そしてみんな思うのだろうな、わが子がかわいいって。)


夜ごはんは、沖縄料理屋さん海風にて。
ジーマミー豆腐、ソーミンチャンプルー、ゴーヤの肉詰め揚げ、新秋刀魚の塩焼き、紅芋のコロッケ、八重山そば。

帽さんと待ち合わせして、ひさしぶりに。のんさんとははじめて来た。
味覚が変わっていった妊娠時期も、ここは変わらずおいしくて、きょうもおいしい。ここではざわざわさわさわはなくてしっかりおいしいと味わえた。なんだろうな。帽さんがいるかどうか、かしら。うむ。
行かないあいだもこうして営業していただろうに、なんだか戻ってきたというようなきもち。変わらずにきょうもおいしくてうれしい。安心する。さんぴん茶をごくごくごくっとほとんどいっぺんに飲み干した。ジーマミー豆腐がいつもよりもましてやけにおいしく感じた。のんさんもよくたべていた。

帰り道のんさんは眠った。家に着いて布団にごろん。授乳の間隔が空いていたのと、食事後なので、おっぱいはぱんぱん。このまま眠るのつらいものだなーと思っているとのんさんは目を覚ます。右も左も張りがおさまるまでのんでくれた。のんさんにひつような分できているのだなと感心する。

2016年9月9日金曜日

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2016年9月9日金曜日

晴れ。涼しいのかと思うとむしむし。


あたまの中で流れるうたは、北風小僧の寒太郎だった。とくべつ寒いわけでもなく、風も凪に近い。きもちの準備かしら。

きのうは、夜ごはんの時間のんさんも起きていた。ある程度食べ終わった辺りで、眠い眠いよと伝える。(丼をたべおわらせたらおっぱいのもうー)と伝えても、(ねむーーーーいーーーーーー)である。彼女はいっしょうけんめい。その後ろでもう眠っていた帽さん。ふらふら起きて、のんさんを布団にごろんとさせてくれようと畳のへやに向かった。だいたい予想はできていたけれど泣いているのんさんの隣で帽さんは眠る。こういうとき、もうしょうがない。消灯、とスイッチでぱちりと消すみたいに帽さんは眠ってしまう。起きているあいだ、こどものように全力なのだと思う。添い乳をしたら、わたしも眠っていた。のんさんが(おっぱいをー)という声で起きた午前3時半。ちゃぶ台の上を片付けて、洗い物。なんだか頭がさえていて流しの掃除までしてしまう。帽さんの目覚ましが鳴りはじめる30分前、洗濯を回しはじめて布団にはいる。目をつむっても眠れないままはじめの目覚ましが鳴る。このまま眠れないかなーなんて思っていたら、帽さんの手がお腹にのっかる。あったかくてこれは眠れそうだと思ったらすーっと夢の中。


散歩の帰り、ちょうど帰ってきたすーさんあいこちゃんに会う。なんでもない日プレゼントと、あいこちゃんに「こっこさんの台所」という本をいただいた。はじめに、に書かれている言葉がよくて何度もよむ。お風呂でつづきを読んだら、なんてユーモアのあるひとなんだろう。お風呂でひとりでぷっとわらった。

夜ごはんは、、ポテトサラダ(ゆで卵)、いんげんの胡麻和え、くるみ和え、手羽元と南瓜のカレーライス。
やたらとポテトサラダがおいしく感じる。
スプーンに掬われてたべさせてもらうよりも、じぶんでたべたいようで皿にのっているポテトサラダを手でつかんでたべていた。ちゃぶ台の半分はざらっざらになっていた。なるべくじぶんでたべたいようにたべたらと思う。ここは大人の覚悟次第だ。拭けばよいと思うか、片付けるのたいへんと思うか。

2016年9月8日木曜日

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2016年9月8日木曜日


どんがらがっしゃーん、と雨が降ったかと思うと、ケロっと晴れる。またぽつりぽつりときたかと思うとドンガラガッシャーン。数分するとやりきったとようすで晴れてくる。

整体に行く予定の日だったけれど、どうしてもきもちが向かわない。うーんとしているとkろにどっしゃり雨が降ってきた。電話をして日程を変えてもらう。(当日にごめんなさい。)

小学生1年生のころだったかな、母にバングルを買ってもらったことがあった。ターコイズブルーのちいさな石が真ん中に入っている。インドのこどもへのお守りだとか言っていたような気がする。それを左手にときどきつけていた。外しているそれは、わたしの腕にほんとうにおさまるのかなと思うほど細かった。あれは、いまでもはめられるのだろうか。
たべた辺り一帯とうもろこしまみれにしたのんさんがようやくお昼寝できたので、夜ごはんの支度。木のまな板、包丁、わたしの手、腕を葱を切りながら眺める。血管がすこし浮き出ていて細い。けれど、いつかみたときのようにふんわかしていない。使い込まれてきた道具という方が近い印象になっていて、すこしうれしくなる。いい手、すきな手だなと思う。

夜ごはんは、いんげんの味噌マヨ和え、ホイコウロウ、くるみ和え、重ね煮のお味噌汁、オイルサーディン丼。

2016年9月7日水曜日

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2016年9月7日水曜日


朝6時ころは雨。すこしずつ日が差してよく晴れた。

夕方、はらっぱでのんさんと遊ぶ。
まっすぐ伸びる茎のしっかりした草を握り、ひっぱる。びくともせずに指の中をすり抜ける。むりやりつよくひっぱることもなく、そおっとひっぱりつづける。なんども、なんども。ふしぎそうなかおををして。ひっぱっていない右手もいっしょに動いてしまう。そのぎこちなくて、おぼつかなくて、たどたどしいけれどみなぎっている手つきに見惚れる。(知っている)と思ったと同時にいまのような手つきでせかいとふれることはなくなるような気がする。彼女が集中できるようになんにも喋らず写真も撮らずただただみつめていた。


夜ごはんは、冷奴、とり肉と南瓜の煮物、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

帽さんは仕事で遅い帰りの日。のんさんとお風呂に入ったのは7時前だった気がするのだけれど、ごはんにたどり着いたのは9時過ぎだった。葱をとってもたべたくてオイルサーディン丼にしようと思っていたけれどおなかがへりすぎてあるものを温めるだけにする。豆腐の薬味に葱と大葉をたくさん切った。とんでもとってもおいしく感じる。

帽さんが帰って来て話していると、焦ったかおをしてのんさんが起き上がってきた。のんさんは朝でも夜でも(ごめん、ごめん、うとうとしちゃってたよ。)というかんじで輪に入らなくちゃと急いで起き上がってくる。ちいさな身体のいっしょうけんめいさに毎度かおがほころぶ。


2016年9月6日火曜日

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2016年9月6日火曜日


きょうもよく晴れている。このごろは夕立もないな。

帽さんが起きる前に、のんさんの授乳で起きた。せめて洗濯物を回しておこうかなーとぼんやり思いつつ眠っていた。洗濯機の洗い終わったよ、という合図のころ身体を起こしていっしょに洗濯物を干す。のんさんもむくり起き上がり、寝ぼけた表情だけれど(わたしも、わたしも、やらなくちゃ)というようすで洗濯物を干しているわたしたちの方へはいはいする。

朝ごはん、のんさんはお粥とマスカット2粒たべた。

ぐずるけれどなかなか眠れないというようす。日が暮れるのも早くなってきたし、3時ころそとに出る。本の支払いにコンビニへ行って、こころが誘われて久々にコンビニアイスを買った。あんなにおいしく感じていたのにさいごまでたべられなくなっていてびっくりする。コーンのバターのような香りと、バニラの部分のふしぎな甘ったるさ。舌も身体のほかの部分も変わっているんだなーと思う。わたしにひつような要素がまったくなくなってしまったんだな。

木々がおおきくそよぐ。雲はめりはりをなくしておおらかに包みながら風があそんでいるみたい。

夜ごはんは、焼き魚、くるみ和え、とり肉と南瓜の煮物、重ね煮のお味噌汁、ごはん。

このごろのんさんは、帽さんが出勤するときなどさみしいよーという声を出す。

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2016年9月5日月曜日


朝起きて胃がもわんとしていた。きょうは和食にしよう、と布団の中で決める。

のんさんが夕方すこし眠った。お味噌を買いに行かなくてはだったので、夕方5時買い物に出かける。帰りには真っ暗な気がして、はらっぱでのんさんと遊びいつものところへ。
街灯は少なく、木がたくさん影をつくる公園は6:20夕日の残り香のような日射しによって夕方を保っているけれどほぼ夜に覆われていた。この前まで6時でもまだまだ遊びに行けそうという明るさだったのに。日が短くなること、冬が来ることはいつもさみしく夏に長びいてほしくなっていた。けれど、昨年、おなかにいるのんさんと毎日のように公園を歩き、日々季節に目や耳を傾けていたあの日々は愛おしくて、またその季節が来るのかと思うとうれしく思う。今年はどんなふうに季節が移り変わりのだろう。のんさんのたんじょうびには、のんさんはどんなことができるようになっているだろう。


夜ごはんは、冷奴、くるみ和え(エリンギ、きゃべつ、人参)、とり肉と南瓜の煮物(エリンギ、冬瓜)、重ね煮のお味噌汁、ねばねばごはん(オクラ、納豆、長芋)。




2016年9月4日日曜日

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2016年9月4日日曜日


パエリアの日。朝、雨が降って中止と連絡をしたけれど、ぐんぐん晴れていく。

20名くらい来てくれるというのと、晴れたので、来てくれたひとたちと公園で行なった。のんさんはいろんなひとに抱っこしてもらい、機嫌よく過ごしていた。

夜ごはんは、ナポリの釜のピザ(チキンとポテトのピザ、ほうれん草とベーコンのピザ、チョリソーが入っているピリ辛なピザ)、あいこちゃん作のサラダ、人参とゴーヤのサラダ。

ごはんを作る力は残ってなくて、ピザをとってみんなでたべた。なんだかピザがとびきりおいしく感じる。さやかちゃんはひとの話を聞くのがじょうず。

2016年9月3日土曜日

262

2016年9月3日土曜日


雨の予報だけれどいいお天気。ぼんやりとした晴れ。


弟のだいきとお父さんとお昼をたべて、おばあちゃんのお見舞いへ。

帰って来たらぱたり。どっと疲れてしまったようだった。

なにを選択するにしても、どしっと覚悟することが大切で。それがふわんっとしているとひとのせいにしてぷんすかなきもちに覆われてしまう。せっかくの思いやりも、ひとときも、台無しにしてしまう。
帽さんがずっと前にある友人のことを「ひとにいやな思いをさせないことに徹底していてすごいね。」と言っていた。わたしのあたまの中の掲示板みたいなところにメモ書きに書いたこの言葉が、画鋲で止まっている。


おばあちゃんは、意識がふわりとしている。ぬけがらみたく、会うたびに知らないひとになっていく。左目はわたしの知っているおばあちゃん。右目はとんでいってしまってここにいなかった。お父さんはおばあちゃんをここに繋いでいる。すべてがとんでいってしまわないように。わたしはのんさんとお父さんを繋ぐ。

かける声が愛でいっぱいである。不器用を辞書でひいたらお父さんが出てきそうなそんなひとだけれど、ほんとうの嘘はない愛のあるひと。


夕方、帽さんとのんさんと、あいこちゃんとすーさんと公園のはらっぱにいたら虹が見えた。どんどんぴりぴりがなだめられて、まあるいきもちになっていく。いたいいたいのは風でとんでいった。

夜ごはんは、平目と鮪のお刺身、冷奴、タコパス。

タコパスは、タコスののこりで帽さんがつくるパスタ。6年ぶりくらいにたべる。6年前たべたときは、ひとり暮らし。そのときの仕事に参っていて周りを心配させはじめていた。クリスマスイブに用意してくれたタコスの次の日の朝昼ごはんにたべたのだった、たしか。やさしくておいしかった。ありがたかった。

帽さんはお父さんよりずっとお喋りがじょうずで表現のできるひとだけれど、なにかがとっても不器用でなにかがすこし重なる。二人とも愛のひと。

2016年9月2日金曜日

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2016年9月2日金曜日


きのうは、11時くらいには眠った。授乳で起きたのは何時くらいだったのだろう。帽さんが目が覚めたようで携帯で時間を確認していた。
次に起きると、5時半。のんさんのおむつを替えて授乳して、つられてうとうとしそうになるけれどきょうは起きるぞと言い聞かせてぱっと起きる。
ゆっくり帽さんと話しているとのんさんの声がする。こちらに向かってはいはいしようとしていた。目が合うとふわあっと笑う。いっしょに洗濯物を干して、準備をすませるとのんさんとひと遊びして帽さんはいい顔をして出発した。

夕方とはちがう透きとおった金色というよりゴールドという方が似合う朝の光が、挨拶もなしにするりとわが家におじゃましてくる。きっととなりの家にも、犬小屋にも。
かみさまが両の手のひらで掬ったたいようを包んでもあふれてこぼれてしまうというような、そんなイメージが浮かぶ。

風もきもちよいのでのんさんと朝散歩することにした。抱っこひもはつかわずふらっと。
おむつを替えて着替えさせて。準備をして玄関をあけるともう気温がぐっと上がっていた。たった数分で別世界。

朝露がきらきらしていた。のんさんはふれたいという動作をしたので、下ろした。ぐんぐんハイハイをして進んだり草をむしったり。そろそろ帰るという仕草をみせたので抱っこするとびしょびしょ。のんさんの服は洗えばいいと思っていたけれど、そうかわたしもぬれたりよごれる覚悟がひつようなのだ。

夜ごはんは、梅紫蘇肉巻き、ゴーヤと人参とツナのサラダ、タコス。

納豆をたべると、いつも興味深そうにみつめてくる。たれやからしを混ぜる前にふた粒とってつぶしてあげてみた。ふわぁーっといい表情がひろがった。彼女はいまのところ、バナナ、すいか、もち米、納豆をおいしそうにたべる。

2016年9月1日木曜日

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2016年9月1日木曜日


帽さんが朝の準備をしているころ、うっすら起きたのだけれどまた眠ってしまった。鍵をかけた音がして起きて授乳をしたらいっしょにまた寝ていた。帽さんがひとりでがんばっているのはなんだかだし、過ごす時間が短くなるのは帽さんががんばっている意味をなくしてしまう。

起きたときに、帽さんのさみしさみたいなのが漂っていたんだと思う。朝、起きたときからきゅうっとして、きょうは帽さんの好物をつくるんだと決めた。

2時くらい、暑くて家にいる時間だけれど涼しくなってきたんじゃないかとスーパーへ行ってみる。風はやわらかく、日傘がなくてもへいきなくらいの日射し。この時間帯に外出できるようになってきた。スーパーは赤紫のパッケージをしたお菓子や赤や黄色の葉を散らした缶ビールをたくさん並べて秋を助長している。毎日公園を歩くと、そこにいるけれどまだまだで、ゆっくりゆっくりよせてはかえしまたよせて季節は変わってゆくなーと思う。

夜ごはんは、ゴーヤチャンプルー、梅紫蘇肉巻き、レタスサラダ(プチトマト、にんじん)、あさりと冬瓜のお味噌汁、ごはん。

みんなが寝静まって、もうすっかりおそいと思っていたらまだ22時半。SMAPをBGMに日記を書いている。2枚だけ持っているアルバムは、COOLと007。COOLはもらってよく聴いた。幼少時代に聴いたからかわたしの中では名盤。しようよ、どんないいことが好きだったな。全然ちがう道なのだけれど、生きている時代に彼らがずっとどこかにいるのを感じていたのだなーと思う。テレビはみなくてもニュースは聞こえてきて、そうかあと思いつつなんだかさみしいのかもしれなくてこのごろよく聴いている。いなくなりそうになるとさみしいだなんて、なんてかってなきもちなのでしょう。